ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.180 [首長] 仲川 幸成 埼玉県狭山市長 「パソコンを見ての仕事なんてだれにでもできる。人の目をみる仕事をしなくてはならない」

市長

埼玉県狭山市長 仲川 幸成
選挙区 埼玉県狭山市

 

インタビューを前に


仲川幸成市長は狭山市の特産品である「狭山茶」の農家で、自らインタビュアーに自慢のお茶を振る舞ってくださいました。振る舞ってくださったのは茶品評会で農林水産大臣賞受賞茶とのことでした。実際に飲んでみるとこれまで飲んできたお茶のイメージを根底から覆すほど香りも味も豊かで、市長のお茶への想いも伺いながら頂いたこともあり大変感激しました。



市長となったきっかけを教えて下さい


まず、そもそも家は農家で、自分の代から狭山茶の栽培に挑戦しておりましたので、はじめから政治家になろうとは思っていませんでした。自分は若い時から家業の農業の傍らで、所謂地域活動を頻繁に行っていました。ここでいう地域活動と言うのは政治活動ではなくて、草の根的な活動、例えば、農業青年の集まりである「4Hクラブ」やPTA、消防団、公民館などです。地域の団体に所属していると、「ここは変えたほうがよいのではないか」という疑問を持つこともありまして、その際には自分が会長を引き受けて自分のベストだと思う状態で団体を運営するようにしていました。その中でも、一番やりがいがありそうで、魅力的に感じていたのが公民館の館長でした。非常勤の公民館長を務めていた際には自分のやりたいこと、地域に必要だと思ったことをトップダウンですぐに実施できるので、本当にやりがいがありました。
話を戻して政治家になったきっかけの話ですが、公民館長をしている時に市議会議員をしていた父が引退を表明しまして、「幸成さんにやってもらいたい」という声もありましたので立候補しました。実際に市議会議員をやっていて思ったのは「早く、公民館長に戻りたいなぁ」ということでした(笑)。公民館長はやりたいことを自分ですぐに実行できたのですが、議員は「やったらどうか?」と提案することはできても自ら実行することできなかったので、その点ではあまり面白くなかったですね。
市長になったきっかけですが、そちらも内発的というよりも、機会をもらったから全うしようという形でした。市議として4期目に議長を務めていたときに前市長が亡くなりました。地域の選挙団体、県会議員後援会、市長後援会、代議士後援会がみな集まって後継者選考をしたときに、過去にちょっとした政争があったこともあって、今回は合意した人を推そうということになり、そこで私が担がれたんです。市長という重責への不安もありましたが、長年の地域活動を通して、問題意識を持っていたことも多々ありましたので、市長選に出ようと決意しました。



市長としてのやりがいを教えてください。


市長の裁量は大変大きいので、やりがいもあるし葛藤もあります。私が狭山のまちづくりで大切にしているのが、それぞれの地域に昔からある伝統や文化や風土を大事にしながら、それぞれの地域に合ったまちづくりをしていくことです。現在はその方針に基づき、地域ごとに地区センターを置いてそれぞれに特徴のあるまちづくりをしてもらっています。
また、私は人生の命題として、社会教育を重視しています。社会教育と学校教育は車輪の両輪だと思っていますので、教育長は社会教育に携わっていた方にお願いをしています。市民の力で新しい狭山を作っていくリーダー養成の場として展開してきた「元気大学」も社会教育の場の集大成として4月からは「さやま市民大学」に生まれ変わります。
やりがいとしては、自分が必要だと思うことを市政で展開できることですね。また、市民の方が職員に感謝しているのを見るのは大きな喜びです。すべては自分一人がやっているのではなく、市民も含めたチームでやっているので、自分以外の人が褒められていると嬉しくなります。



市長としての葛藤を教えて下さい


一方で行革など痛みを伴う改革には、葛藤も伴います。狭山市は特に行革が進んだ市といっても過言ではないと自負しています。なかでも大きな問題であった財政面での課題については、職員の削減をはじめ指定管理者制度やPFI方式の導入などを積極的に行い経費削減に努めてきました。難題であった小中学校の統廃合にも取り組みました。また、「やる決断」だけではなく、「やめる決断」は特に葛藤が伴います。まち全体での争点になった入間市との合併問題や入曽駅前の開発では、侃々諤々の議論が行われましたし、入曽駅前開発では、「現段階での開発を断念する」という苦渋の決断をせざるを得ませんでした。事前にしっかりと説明して理解を得ていたこともあって、私の決断に対して大きな反対運動などが起きなかったように、市民を大切にしていくこと、人の目を見て仕事することがいかに重要であるかを改めて実感しているところです。



市長の若いころと比べて今の若者をどう思いますか?


人との出逢いに消極的になっているのではないかと感じています。私の若いころには先に例示したような地域の団体がたくさんありましたし、そこに所属している若者が沢山いましたので、地域に関わる機会が多く会ったように感じています。しかし、今のそういった団体を見ていると昔に比べて高齢化が進んでいる感じがします。
また最近、若手の方が市議会議員に立候補してくれていますが、その顔ぶれを見ると、よくも悪くも市の職員や私がよく知らない、つまり地域活動に参加していない方も立候補するようになってきていると感じています。もちろん、議員になるなら地域団体に必ず入るべきだということではありませんが、地域について知るということは必要なのではないかと思います。
地域や政治だけではなく、人との出逢いから刺激を受けることもたくさんあるはずです。私自身、今の考え方や行動に大きな影響を及ぼしている出逢いが幾つもありました。私は、ずっと現場で来ている人間なので声を大きくして言いたいのですが、人との出逢いを大切にして、人の出逢いのなかで自分を鍛えていってほしいなと思います。



市政に若者を巻き込んでいらっしゃいますか?


実はそこは課題だと思っている部分です。市民大学で若い人が積極的に取り組んでくれるだろうと、「起業コース」を作ったのですが、こちらの目論見とは異なり、実際には団塊世代の方々が多くなっています。もちろん、団塊世代の方々にも益々活躍してほしいとは思うのですが、今後の狭山を担っていく若者に是非とも参加してもらえるよう苦心しているところです。今、私は72歳ですが、市長になってから10年以上にもなりますと、市政についての気づきや変革するべきところに対して新鮮な考え方を保つことが難しいところもあります。最近では、普段顔を合わせることが多い50代後半の部長クラスばかりと話すのではなく、次世代の狭山を担っていく若い職員たちと数時間たっぷり話す機会を設けるようにしています。
先程もまちづくりに地域の団体に参加してほしいという話をしましたが、ここにも若い世代の力が必要だと強く感じていまして、これからは中学校区を中心としたまちづくりを行っていきたいと思っています。中学校区とまちづくりの地域を一致させることで、比較的若い人たちの多いPTAや親父の会といった実際に機能しているネットワークをそのまま「まちづくりの力」に変えていけたらと思っています。また、若手の職員にも積極的に地域に入っていき自分たちから地域の輪を作るくらいの意気込みを持って活躍してほしいと常に伝えています。
ただ、都心に出て行きやすいという市の立地上の特徴もあって、これから就職して結婚して子どもを生み育てていく世代、つまり今の大学生くらいからの若い人たちにはなかなかアプローチできていないのが現状ですが、もっと地域活動に登場してほしいものだと思っています。それがなかなか難しいのですけれどね(笑)。



若者へのメッセージ


若者には「出藍」という言葉を贈りたいと思います。この言葉は「青は藍より出でて藍より青し」という故事になぞらえた言葉ですが、例えば、筍のように地にしっかり根を張り、日々力強く天に向かって成長していってほしいと思っています。そのためには、その年齢、年代において高い目標と希望を掲げること、そして実現という夢に向かって勇気を持って邁進することが大切です。私も20代の時には農家として作物の品質の向上を目標に掲げてきました。30代には、それまでの農作技術に加えて、農産物をどう売るかという経営面での質の向上を目標に掲げ、実現してきました。そうして一つずつ目標をクリアすることで、気が付けば高みに上ることができる訳で、目標設定こそがその階段であり、その過程で学んだものや得られた人とのつながりが財産となるのです。私にもできたのですから、このホームページを読んでいるような優秀なみなさんにはきっとできると思います。がんばってください。



(インタビュー:2014-01-24)


(平成26年3月13日現在)
住所            埼玉県狭山市大字北入曽
生年月日      昭和16年12月24日生まれ(72歳)
学歴            昭和35年3月  埼玉県立豊岡実業高等学校卒業
職業            茶製造販売業
市長            狭山市長  平成15年7月27日~現在(3期目)
議員歴
平成  3年  5月  1日~平成15年  7月20日    狭山市議会議員当選回数4回
昭和47年  4月  1日~昭和62年  6月30日    狭山市社会教育委員
昭和62年  4月  1日~平成  2年11月30日    入間公民館館長
平成21年  7月24日~現在                         防衛施設周辺整備全国協議会副会長
平成21年  7月24日~現在                         全国基地協議会理事
平成25年10月  8日~現在                         埼玉県市長会副会長
※プロフィールはインタビュー時のものです。

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