ジャパンプロデューサーインタビュー
Vol.177 [首長] 阿久津 貞司 群馬県渋川市長 「柔軟な発想力で、自分なりの工夫を凝らしながらチャレンジする」
市長
群馬県渋川市長 阿久津 貞司
選挙区 群馬県渋川市
市長になろうと思ったきっかけを教えてください。
私は、父が0歳のときに硫黄島で玉砕、11歳で母親が亡くなってしまい中学に上がるころには両親がいませんでした。いわゆる戦後の戦争遺児です。当時の戦争遺児といえば、それはもう酷いものでした。そんな環境で私が何とか一人前になれたのは、両親の死んだあと親戚や近所の皆様が私を育ててくださったからです。
なので、私が政治をやろうと思った一番大きい原因は私を一人前にしてくれた地域の皆様への恩返しという意味だと思います。39歳から議員として活動を始め、議長という職まで務めさせていただきました。その後、私は新たな視点から政治に関わりたいと思い、村長選に出馬しました。村長として活動していた最中には、これが最後の政治家活動になるだろうと思っていました。市の合併の話も持ち上がっていましたが、最初から新しい渋川の市長になろうと思っていたわけではありません。むしろ、私は他の合併した村の首長さんたちと同じで、前任の市長さんを応援していました。
しかし、前任の市長が在任中にお亡くなりになってしまい、この後どうしようかという話になった時に、様々な方に市長選への出馬の後押しを頂きました。当初は悩みましたが、やはり合併の際のやり取りをきちんと覚えている人間が守るべき約束は守りつつ、それでいて渋川市という殻を破り、新たな自治体を構築していかなければならないと思い市長選に出馬したのです。
市長は合併前に合併元となる村の村長をされていたと思うのですが、合併を考えたときは悩まれましたか?
これは合併を考えているすべての自治体の首長の皆様が悩んでいることだと思います。私も合併を考えたときには大変悩みました。当時私が村長を務めていた子持村の人々にアンケートをとってみると1/3は「合併したい」、1/3は「合併したくない」、残りの1/3は「わからない・どちらとも言えない 」という回答でした。こういうアンケートを取ると、「わからない」という回答をどのように捉えるかということが大変悩む部分なのですが、私は村長という職は「自身の決断について村民の皆様から判断してもらう」ものだと考えているので、何が村民の幸福につながるかという、村の将来を鑑みて決断をしました。
合併をしたことによるメリットはどのようなものですか?
各自治体の産業がお互いの強みを補完し合いながら、新たな市を形成できることです。具体的には今の渋川市を構成する旧自治体には、伊香保温泉など観光で有名な伊香保町、農村地帯の子持村・赤城村、そして旧渋川市は工業・商業という具合に、バランスよく強みが違ったのです。これの何が良いかというと、どれか一つに特化すると、その産業の調子が悪くなると市の財政にも陰りが差してしまいます。逆に言えば、バランスよく予算も配分しなければなりませんから、成長も緩やかになるということですが、それを差し引いても互いの自治体が連携できる安定した街づくりは魅力的でした。
実例で言えば、例えば地元で食べる物を地元の農家が生産すれば、観光拠点が名物としてそれを取り上げ、観光を盛り上げることができます。観光が盛んになると、当然多くの人が止まる場所が必要になりますので、宿泊施設ができます。宿泊施設ができればそこにお店ができ商業が発達します。お土産などを売ることができるようになりますからね。お土産の需要が高まれば今度は職人の出番です。職人の方々が新たなものづくりに取り組み始めれば、そこでまた工業が盛んになります。要は稲盛和夫さんが提唱したアメーバ経営を地域づくりにアレンジし、合併前の各地域の産業をそのままの強みとして残し、それぞれが採算を考えて自主的に市の運営に関わっていくようなモデルを作り上げたのです。最近では異業種交流会として、地元の皆さんが一流料理人によって調理された渋川市内の食材を楽しみ、市の強みを再認識する取り組みも、市民の皆様が自主的に行っています。
市政で一番取り組んでいらっしゃることは何ですか?
安定した地域づくりのために、私がずっと考えていることは、B級ではなくて、A級食材を用いた “永久”グルメを作りたいということなのです。花火のようにぱっと咲いて、話題を呼んでもそれはすぐに萎んでなかなか続かない。チェーンのスーパーのような集客施設がその好例です。
食に関しては一流のものをつくろうという思いで取り組み、それが「渋川市のものは美味しい」という様になれば、2代3代続くような産業として地域に根づいて行くことになる。観光地でも地場産の美味しいものが食べられるという事になれば更に地域が活性化していく。こういったことから、地域でA級食材そして“永久”グルメを地域で作っていこうと考えました。
実際に“永久”グルメを開発する取り組みとしてはどのようなものがあるのですか?
最近取り組んでいるものとして、安全で高品質な農作物の栽培というものがあります。具体的には完全な無農薬ではなく、専門家やお医者様にアドバイスをいただき、生物に害のある可能性がある成分を排除した安全な農薬を使用し、作物の生産を行うという取り組みです。皆さんは知らないかもしれないのですが、実は現在日本では許可はされていても危険な農薬というものはたくさんあります。例えば、一時期蜂が消えたと世界中で騒ぎになったことがありましたが、その原因ではないかと考えられている成分のひとつにネオニコチノイド系という農薬があります。増加する子供の多動性障害の要因でもないかとも言われているその物質はEUやその他地域ではすでに使用が自粛されていますが、日本ではほとんど規制されていません。そうした情報を踏まえて、危険と目される成分を排除した農薬を使用した「選別農薬農法」に取り組んでいます。今年の秋にはその農薬を使用した野菜を学校の給食で出したいと思っております。ゆくゆくはTPPへの対応策として、このような安全な食材を渋川ブランドとして世界にも売り出していければとも思っています。
市で行っている若い人向けの取り組みはありますか?
先程述べたのは食の生産ですが、私は食物に関わる教育にも力を入れたいと思います。食料は命に関わる重大な要素の一つですから、そこが欠落してしまうと安心して生活を送ることはできないでしょう。だからこそ、今自分が食べているものは、どうやってできているのかということはぜひ子供たちに学んで欲しいです。
また今の日本は食料自給率も低迷しており、万が一輸入相手国と喧嘩でもしようものなら、日々の生活が根底から崩れ去ってしまうような状態です。
なんでもかんでもと言うわけには行きませんが、渋川市は大変豊かな地相を持っているので、大半のものは自前で作ることができます。なので、子供たちに地元の味を知ってもらうために給食センターで使う食材を極力地場産ものにするなどの取り組みを行っています。
最近の若い人々を見ていて思うことはありますか?
私はみなさんと同じくらいの年代の時は、政治のことなんて考えていませんでした。
ただ、今の若い世代とくらべて思うこととしては、あのころは割と地域に対する愛情が深かったのかなと思います。私も含めて、地域の消防団や体育協会に入ったりして役員をするなど地域に対しては積極的に関わっていたと思います。
今は昔に比べれば少なくなってはいるのですが、それでも渋川市は若い人の元気が良い方だと思っています。私自身も若い人に色々やらせようと思っていて、若い人の異業種交流を青年会議所や商工会議所の青年部にお願いして主催してもらったりもしました。実際、ものによっては、行政はお金だけ出してあげて若者にお任せしたほうがうまくいくことが多かったりもしますしね。
その他にも、渋川市には伊香保温泉に旅館組合の青年部などもあり、地域の若者が集まる場はたくさん残っています。これからは、こういう組織同士の交流を促進して価値観のちがう若者同士の集まりをつくってみたいとも思っています。視点のちがう若者同士があつまればまた新しく面白いことが生れてくると思うので、大変楽しみです。
その他に今取り組んでいる街づくりなどはありますか?
渋川市は、まず市民を守ることを第一に考えています。そこで目を付けたのが「医療」です。市民の安全を確保し、安心してもらうためには、まず緊急時における救急医療の整備が欠かせません。私たちはそこを核とした地域作りを目指しています。これはなぜかというと、渋川市における救急車の出動の50%を前橋などの近隣の自治体にお願いせざるを得ないという現状があるからです。この原因は単純で、お医者様が自治体内で不足しているためです。そこで渋川市では、病院の統廃合を進めています。来年には450床の病院を一つ市内に建設したいと考えております。ただし、総合病院を建設するのには少しお医者様の数が足りません。そこで、経験豊かなお医者様がいる民間の診療所や医療センターと連携して、医療圏を整えることを最終的な目標としております。
市長が仕事の上で大切にしていることはありますか
今は40歳くらいでも市長さんをやられている方もたくさんいらっしゃいます。とても素晴らしいことなのですが、若い人はどうしても理想論によってしまう傾向があるように思います。一方で私達のような田舎社会は徹底的に実践から入る。なぜならそうしないと、行政が市民から浮き上がってしまって、市民の皆さんがついてこなくなってしまうのです。
だから私は、徹底的に現場主義・実践主義を貫いています。もちろんそのせいで、市の職員の方々とぶつかってしまうこともあります。実際私は市長になってからの最初の4年間はすべてひっくり返していたようなものでした。
ただ、やはり現場に出れば物事は変わっていきます。前市長の時代より壊すことになっていた古い立派な公民館があるのですが、この公民館は壊すのに2億円近く必要ということになっていました。私も市長になった当時は、市の職員からこの公民館はもう使い道がないというような話を聞いており、公民館を取り壊すつもりでいたのですが、商工会の人と直に会って話した所、2億つかうのであれば立派に建物として使っていけるということでした。結局、商工会が入居することになりこの公民館は残ることになったのですが、このよう歴史のある建物を地域の人々の憩いの場として残すことができたのは、やはりきちんと市民の声や現場を知っていることが必要なのだなと感じました。
また、市長の仕事は毎日が決断の連続なのですが、こういう仕事をしていると、実は「勘」というものは大事だなと思う時があります。先ほどの病院の事業一つとっても、本当にこの事業を進めるのか、それとも止めるのかという決断は大変重要でした。実際、他の事業では止めるという決断をして成功したという事例もあります。何かを決めるとき、なんでもかんでも進めていくというのではダメで、当然色々なことを勘案しながら決断をしなければならないのですが、その決断に際しやっぱり「この事業は続けるべき!」とか「やめておいたほうが良い!」という部分は第六感でわかるという時があるのです。
ただ、この感覚はただ漫然と「そう思う」というものではなくて、きちんと今まで積み上げてきた経験の中で養われた「勘」だからこそ頼れるのかなとも思っています。なので、若い皆さんにはぜひ色々な経験をしてこの「勘」を養っていって欲しいですね
市長とお話していると「あそこにどんな人がいる」「彼の協力を借りれば良い」など市民のことをよくご存じだと感じたのですが、市民の皆様との距離は近いほうなのですか?
私は理論派ではなく実践派ですので、市民の皆様の生の声を聞くことを第一としております。施策を検討するときも、自分のやりたいと考えたことを実際に投げかけてみて、皆様の返答に応じて着手するかどうかを決定しています。そういう意味で市民の皆様との距離は近い方だと思います。
市の特色について教えて下さい。
農業で言えばこんにゃく芋の生産量が日本一ですし、畜産で言えば赤城牛が大変有名です。これらは両方とも、伊香保温泉の大きなホテルではだいたい提供しています。
そして、観光でいえばやはり伊香保温泉があるところが強みです。これは、温泉番付でもベスト10に入る名湯です。このように観光面では巨大な集客施設があるので、これを核に観光客が渋川を回遊できるようなまちづくりを志向していきたいと思っています。
また、サントリーさんやジェーシーボトリングさんなどの上場企業の工場が集積しており、これも渋川市の特色だと思っています。
最後に若者へのメッセージをお願いします。
これから日本を背負って立つ若者の皆様には、色々な分野に恐れずチャレンジしてほしいと思います。また、それとともに変化する時代に順応できるような柔軟な発想力を持ってほしいです。世の中は往々にして自分の思い通りにはならないものですから、凝り固まった考えで実践をおろそかにすると、どこかで躓いてしまうと思います。そうではなくて実践を通じて自分なりの工夫を施しながら、柔軟に外部要因に対応していくようにすれば、ものごとはきちんと成功できると思います。がんばってください!
生年月日 昭和20年1月18日
■主な職歴及び団体歴
昭和59年10月 8日~平成 8年10月 7日 子持村議会議員
平成 6年10月 5日~平成 8年10月 7日 子持村議会議長
平成11年12月 8日~平成18年 2月19日 子持村長
平成11年12月 8日~平成18年 2月19日 渋川地区広域市町村圏振興整備組合理事
平成15年 5月12日~平成18年 2月19日 北群馬郡町村会会長
平成15年 6月 3日~平成15年12月 7日 渋川地区広域市町村圏振興整備組合副理事長
平成16年 2月 4日~平成18年 2月19日 渋川地区広域市町村圏振興整備組合副理事長
平成13年 3月19日~平成18年 2月 7日 子持村産業振興㈱ 代表取締役社長
平成18年 2月 8日~平成19年11月15日 子持産業振興㈱ 代表取締役社長
平成21年 9月13日~現在 渋川市長
平成21年 9月13日~現在 渋川地区広域市町村圏振興整備組合管理者
平成21年 9月30日~平成23年 5月26日 ㈱しぶかわ温泉 代表取締役
平成23年 5月27日~現在 ㈱しぶかわ温泉 取締役
平成21年10月 1日~平成23年 5月29日 子持産業振興㈱ 代表取締役社長
平成23年 5月30日~現在 子持産業振興㈱ 取締役会長
平成22年 5月21日~現在 ㈱渋川市民ゴルフ場 代表取締役会長