ジャパンプロデューサーインタビュー
Vol.166 [首長] 田中 龍夫 埼玉県入間市長 「自分の背中は自分でしか押せない」
市長
埼玉県入間市長 田中 龍夫
選挙区 埼玉県入間
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政治家を志したきっかけを教えてください。
遡ると最初のきっかけは中学校の時だったと記憶しています。それまでは実家が建築関係だったので、漠然と建築家・設計家になろうと考えていて、高校も工業高校にいこうと思っていました。しかし、修学旅行先でホームレスを見たときに、「勉強している世の中と本当の世の中は違っているんじゃないか?」と疑問を持ったのです。その頃社会科の授業で、憲法25条(生存権)をちょうど習っていた時だったので、ホームレスを見て思うところがあったのかもしれません。とはいえその頃はまだ、政治の道に進もうと具体的には考えてはいませんでした。その決断をしたのは、大学受験の時でした。中央大学に受かれば法律の勉強を、早稲田大学に受かれば政治の勉強をという具合に、受かる大学によって決めようと思っていたのです。そして早稲田大学に受かったので、今ここにいるというわけですね。
そして被選挙権を得た折、当時の入間市長に「市長になりたいんですけどどうすればいいですか?」と相談しに行きました。その時に「まずは議員になって勉強をすることだ」と言われ、まずは議員になることを決意したのです。そして、28歳の時に市議会議員選挙に出馬し、当選させていただいてからは市議を4期、県議5期務め、昨年市長に当選させていただいたという経緯です。
市議と市長ではやりがいの違いなどはありましたか?
市議会議員の時は、ある政策を実現したくても、最終的には予算の執行権を持っている首長の決断に左右されます。つまり、どんなに政策の実現に骨を折っても、政策が実現しないこともあるということです。今は首長として自分で政策を立ち上げて、それを実現するための努力がほぼ確実に結果につながる状況にあります。これは自分の市を良くしたいと思い、政策を打ち出す政治家としては、とてもやりがいのあることだと思います。
市長を務めるうえで気を付けていることはなんですか?
私は自分の欲から政策を立案してしまうことと、政策を立案・実行するにあたって人と人とのわだかまりを持ってしまうことが、絶対にないように気を付けています。市長は市役所のコンダクターと言える立場です。また、私は市長とは政治家であるべきだと考えています。つまり、市役所の職員のマネジメントと政策の実現の両方をこなさなければなりません。そして、自分で予算を執行できる立場にあるということは、自分の考えに沿って、職員の皆さんに仕事をしていただくということです。そこで、職員のモチベーションのあり方が重要な意味を持ってきます。そうしたときに、自分の欲や人とのわだかまりは大きな弊害になります。というのは何事も自分の欲や利益に固執することによって失敗をしたときには、言い訳ができないものだからです。特に、政治の現場でそのようなことは許されざることです。逆に言えば、「市民のため」ということを考え抜いたうえで、新しいことにチャレンジするならば、たとえ失敗しても次のチャンスが巡ってきます。さらに言えば、チャレンジすることができる機会を与えていただいているのであれば、失敗を恐れず市民の皆さんのために全力で取り組まなければ、市民の皆様に申し訳ないとも思っています。
市長として、決断をするときの葛藤はありますか?
葛藤はあります。前提として市長の役割を担う人は、どんなに批判されても「やるべきことはやる、やるべきでないことはやらない」という確固たる意志を持っているべきだと思います。具体的な例を出しますと、私は市長になってから「値上げ」の検討を行っております。事業系のごみの処分料や国民健康保険税などがそれにあたります。どれも大きな批判があります。しかし、「やるべきことはやらなければならない」という意思を持って実行しなければなりません。また、人事の決断も大きな葛藤を伴うものです。本気で一生懸命頑張っている人がたくさんいるのに、そういった人たちを重要なポストにつけてあげたいにもかかわらず、その数が足りない。これも大きな悩みの種ですね。
市民の方々に決断を伝えるときに気を付けていることはありますか?
市民にしっかりと「なぜこの施策を行うのか」ということを理解してもらえるように気を付けています。国民健康保険税を例にすると、私は「どういう仕組みで、なぜ上げなければならないか」ということを分かってもらいなさいと指示をしております。やはり、市民の皆様にはご負担をお願いするわけですから、理解をしていただけるまで説明をしなければならないという義務もあると思います。また、市民の皆様にも議論に加わっていただきたいと考えておりますから、審議会等で論議を交わしていただき、そこでのご提案を再度市で検討し、パブリックコメントにかけるという手順も取っています。
今後の市のビジョンの中で、若者に期待することはありますか?
これは市が「若い人たちの知恵や力を借りよう」という仕掛けを強化することが大切であると思います。やはり市の未来は自分たちの未来だということを自覚して、入間市の未来についての提案をしてほしいなと思います。そして現状に満足せず、提案の実現に向けて努力して欲しいと思います。そしてその前段階として、何でもいいので人のつながりがある団体・サークルに入っていってほしいですね。それは地元のソフトボールチームや書道の会などのサークルでもいいし、青年会議所、消防団などや、体協の役員、あるいは自治会の役員を受けることでもよいです。大事なのは自分の居心地のいいところに閉じこもらず、いろんな人との関係を持つことです。ある程度自分の生活が地元の人間関係と密接に結びついてくると、自分の住むまちへの提案も自然と生まれてくるのではないでしょうか。
若者へのメッセージをお願いします。
自分の背中を自分で押してほしいと思います。自分の決断は、当たり前ですが自分でしかすることはできません。人間は楽な方へと流れてしまう生き物です。しかし、苦難や困難に立ち向かうときも、新しいことに挑戦するときも、「私が今、動き出さなくては」の気持ちで自分の背中を押して、一歩前に進んでほしいと思います。
1952年8月20日生まれ
昭和27年 小谷田(坂ノ下家)に生まれる
東金子小、武蔵中、県立川越高卒業
昭和51年 早稲田大学政治経済学部政治学科卒業
昭和56年 入間市議会議員初当選(4期)、全国最年少で入間市議会議長、農業委員、入間市融資審査会会長、入間市監査委員など歴任
平成7年 埼玉県議会議員(5期)、環境農林常任委員長、環境保全食品安全防災対策特別委員長、決算特別委員長、埼玉県監査委員、彩の国さいたま人づくり広域連合議会議長など歴任
平成24年 埼玉県入間市市長選挙初当選