ジャパンプロデューサーインタビュー
Vol.147 [首長] 金丸 謙一 館山市長 「私は常に2本の道があったら困難な方を選ぶようにしています」
市長
館山市長 金丸 謙一
市長になろうとしたきっかけをお聞かせください
「なろうとした」というよりは、自然な流れで「なってしまった」という方が正しいですね。20歳の頃から携わっていた団体でボランティア活動をするうち、市民の声を政治に届けたいと思ったのがきっかけです。「誰か出馬しないか」と呼びかけていたら、言い出しっぺの自分が逆に立候補を薦められたのです。立候補の際も「絶対当選する」という自信があったわけではなく、ただ周りのみんなのために何かしたい、と思っていました。
市議時代と市長になってからの違いはどんなものでしたか
まず市民から市議になって、市の行政について全部を把握するまでに2年ぐらいかかりました。その後市長になってからは得られる情報量が桁違いでしたから、それまで見えなかったところ、未解決の問題がたくさん見つかりました。国の自治体支援政策も変わり、市の財政も厳しくなっていたので、一期目は収支バランスをとるために行財政改革に注力しました。支出を減らすとどうしても市民サービスの低下が避けられないので、これを市民にお願いするというのが苦しかったですね。職員数も200人近く削減し、給与も3年間削減し、事業仕分けやごみの有料化なども行い、職員にも市民にも痛みが伴うことばかりでした。「そうしなければ館山市を持続的に発展させることは難しい」ということを、ただ説明して理解していただくしかありませんでした。
市長をやっていてやりがいを感じるとき
市長は決めたことには責任を持たないといけないと思っています。私が目指して決めた方向に一歩一歩進んでいるなと、決めたことに結果が返ってくるとき、やりがいを感じます。 例えば、一年前に元気な広場というものを作りました。これは雨の日でも子供たちが外で遊べる屋根付きの広場です。作った当初は「こんな広いスペースは不必要なのでは」と批判を受けることもありました。しかし文化ホールやコミュニティセンターの近くに作ったことで、常に大人の目が届きますし、転勤でこの市に来てなじめない若いお母さん方の交流の場にもなり、今では評価をいただいており、やりがいを感じました。
館山市をどんな市にしたいですか
日本で一番幸福感を感じて住まえるまちにしたいです。GTH(グロス館山ハピネス)といって総幸福度をあげる取り組みをしています。館山市を日本一お金持ちの市にすることは難しいですが、日本一幸せな市にすることはできると思っています。ここは冬暖かくて夏涼しいですし、自然も豊かで食べ物もおいしいです。これはあたりまえのことではなく、とても恵まれていることなので、住民にも大事にしてほしいです。先日「住みたい田舎」ベストランキング(宝島社)でも第8位に選ばれました。住人たちに「このまちっていいな」と思ってもらえることが一番大事だと考えています。
市民の意見は市政に反映されていますか
5年間、昼休みにいつも市役所のロビーに立っています。すると市民の苦情などを直接聞くことができるのです。感謝をされることもありますが、苦情の方が多いですね。市長はほとんど褒められることのない仕事ですが、私の場合は特に言いやすいから苦情も言われるのかなと思っています。苦情もなく、無関心なことが一番問題だと思います。
2010年の二期目の市長選での投票率が60%と高かったことについてはどう思われますか
複数候補がおりましたので、「選ぶ」という状況になりました。もちろん市民の私に対する批判があったと思います。あとは東日本大震災以降、政策が市民にとってより身近になったと思っています。館山のような市では政策が市民の生活にかなり影響します。たとえばごみの有料化なども、市民に辛抱強く説明するしかありませんでした。自分としては、二期目よく当選したな、という思いでした(笑)。
最後に若者へのメッセージをお願いします
若者こそ将来の100%、つまり将来は君たちの世界です。目先のことよりも将来のことを考えてほしいと思います。考えはグローバルに、行動はローカルに、とにかく失敗を恐れずにどんどんチャレンジしてほしいですね。今の若者はどちらかというと、危なくない方を選んでいるのかなと思います。
私は常に2本の道があったら困難な方を選ぶようにしています。なぜなら達成したときの喜びがまったく違いますし、スキルアップもできるからです。もちろん失敗する確率は高くなりますが、その失敗が今の私をつくったと思っています。
平成18年市長初当選
館山国際交流協会事務局長、市体育指導委員連絡協議会副会長、市中央公民館サークル連絡会会長など歴任。安房郡市広域市町村圏事務組合理事長(2010年11月当時)