ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.095 [首長] 佐藤 仁 南三陸町長 「『大災害を被ったこの土地を盛り上げるためにも、皆さんと我々が手を取って、復興に向かい活動していくことが大事です。』」

町長

南三陸町長 佐藤 仁
所属 南三陸町長
選挙区 宮城県南三陸町

 

これまでより知名度が増え、町にどのような影響がありましたか?


確かに、大震災を境として、全国、世界中の多くの方々から、町に関心を寄せていただいたことは、そのとおりであります。
しかしながら、それは、未曽有の災害を受けた町としての認知度であり、震災直後は、知名度がアップしたことを、肯定的に捉える気持ちにはなれませんでした。そうした中で、震災発生から月日が経ち、多くの町民が、産業の再生、生業の再構築といった復興に向けた取組を始めています。
その中で、この「南三陸町」という名前が、多くの方に知れ渡ったことが、産業再生の一助になることもあろうかとは思います。いずれにしても、南三陸町に対し、激励や支援をいただいた多くの方々の声に応えるためにも、震災前から取り組んでいた交流人口の増加に向けた様々な取組を再構築し、そして、早期に再開できるようにしていくことが必要であると思っています。



震災から一年四ヶ月が経ちましたが、観光の様子は震災前と比べどうでしょうか?


「観光」という切り口を全く変えなければならないと思います。
今までは、農家を中心に受け入れの民宿を探して回るのが大変だというくらいの規模で体験型の修学旅行などの受け入れが多く、もちろんその他修学旅行に限らずその体験型のプランというものは中心的なもので、自立した観光協会を作るほどでありました。しかし震災後は、被災地として様子を見に来る人々はいらっしゃいますが、その観光協会を通しての観光というものは一部を残すだけで無くなってしまっています。
ですが、このところ数ヶ月になってようやくそういった事情が取り纏められ、観光協会を通して外国人の子供達が訪れる、というように変わってきています。この町の観光というものは農業体験など体験型が主だったと申し上げましたが、その問題ともう一度農業や漁業が立ち上がっていくことはリンクしていることだと思っているので、必要不可欠だと考えています。ただ、現状ではやはりそれはなかなか難しいことです。そこで、まだひとつの発想にしか過ぎませんが、「観光」という切り口を変える、そういった考えに辿り着きました。



ワールドビジョンが提出した子供達の意見について、どう思いましたか?


すでに我々が工程の中に盛り込んでいるような内容のものもあり、驚きました。子供ながらに視点はしっかりしていると思います。そういったことを踏まえ、より様々な方に意見を持ってもらうために老若男女みんなが参加できる講演会などの設置が必要でしょう。
私は中高生様々な子供達に向けて、貴方達は我々のパートナーなのだと伝えました。復興には10年単位、もしかしたらそれ以上の時間がかかってくるかもしれません。大災害を被ったこのまちがここから立ち上がっていくのには、皆さんと我々が手と取り合っていくことが大事です。だから一緒に頑張っていきたいと思っています。



風評被害についてはどうでしょうか?


全体としてはまだなくなっていません。宮城県産というとどうしても引いてしまうらしく、業者の方々もあまり売れないので市場で買うことが減っているという事実があります。



若者へメッセージをお願いします。


まずひとつに、日本人も捨てたものではない、ということを私はこの震災で痛感しました。もうだめだ、と諦めてしまう人もいるでしょうが、もう少し留まって考えてみてください。
そしてもうひとつ、私はこの国のシステムを変えなければならないと思っています。そうやってこの先の国を変えていくには、骨太に活動していける存在が必要です。
とはいえ、国会や政治という行動だけに囚われず、最後に大事になるのは人との繋がりというものなので、そういったことも含めて意識をしてください。



(インタビュー:2012-07-15)


平成17年 南三陸町長(1期目)
平成21年 南三陸町長(2期目)
※プロフィールはインタビュー時のものです。

関連記事
  • Vol.243 [首長] 木幡浩 福島県福島市長 「若者が行き交う県都福島へ」JAPAN PRODUCER INTERVIEW

    ジャパンプロデューサーインタビュー

  • 橋川市長プロフィール用
    Vol.242 [首長] 橋川渉 滋賀県草津市長 「誰もが健幸に暮らせるまちを」

    ジャパンプロデューサーインタビュー

  • 山本市長プロフィール用
    Vol.241 [首長] 山本景 大阪府交野市長 「財政再建から持続可能な住宅都市へ。元証券マンの挑戦」

    ジャパンプロデューサーインタビュー