ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.052 [国会議員] 松本 大輔 衆議院議員 「踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿呆なら踊らにゃ損損」

衆議院議員

民主党 松本 大輔
政党 民主党
選挙区 広島2区
初当選年 2004年
当選回数 2回(衆議院選2回)
公式サイト
YAHOO!みんなの政治

 

松本議員は松下政経塾に入塾してから議員になられましたが、なぜ議員になろうと思われたのですか。またなぜ入塾しようとお思いになられたのですか。


一言で言うと憤りと危機感。
銀行にいたんだけど、不良債権問題というのがひとつのきっかけだね。預けたお金を返ってこないような貸し出しに使うなよというところから議論がはじまった。その後、そうは言っても審査が厳しすぎるのは借り手としては厳しいという話になってきたの。この間を揺れ動きながら、方向性が定まらずに今日までやってきて、それが不良債権問題の解決を遅らせてきた。現場にいるとそのことがすごくよく分かる。
問題を解決するためには決断をしなきゃいけない。でも本来決断をしなければいけない政治が決断と国民への説得の責任を放棄していた。その政治の怠慢に対する「憤り」。
不良債権の問題だけでなく財政・教育・今年騒がれた年金、来年・再来年の改正が予定される介護や医療の問題もある。そんな中で政治がこんなに仕事をさぼっていて本当にいいのかという「危機感」。
この二つがきっかけになってやっぱり政治は大事だなと思ったの。それで銀行を辞めて立候補をしようと思ったのだけど、とっ掛かりがないじゃない。銀行を辞めて政治家になろうというのはいいんだけど、今日から僕は政治家ですというわけにはいかない。選挙に出なければいけないし当選もしなければいけないよね。でも俺にはいわゆる地盤・看板・鞄というものはないわけ。
お金も無い、コネもない、知名度もない。こういう状態から出るには自分なりのとっ掛かり、そのための時間とチャンスが必要だと思ったんだ。それを与えてくれるのが松下政経塾かなと思ったので入塾したんだ。



それでは松本議員が、立候補を決められたときの意気込みをお聞かせください。


絶対勝つ!(笑)あとはやり抜く。
やるからには絶対勝つというのが一つ。そうは言ってもさっき言ったようにお金もコネも知名度もないじゃない。スタッフも今みたいに全然いなかったんだ。俺一人でやるしかなかった。しかも地元に帰ってきたのは十何年ぶりだったから友達も遠くに行ってたりするよね。やれることといったら今もやっているような朝の街頭と飛び込み営業しかできなかった。一人しかいないからね。もうそれしかできないけど、とりあえずそれだけは最後までやりぬくぞということがもう一つかな。



松本議員は阿波踊りの「踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿呆なら踊らにゃ損損」という言葉に感銘していらっしゃいますが、実際踊る側になってみて政治はどのよう感じますか。


踊らされてはいけないなと。自分たちの踊りを踊らなければいけないというのかな。
官僚というのはどうしても振り付けをしたがるので。与党は自分たちの作った法案に賛成する立場で議論するので、俺ら野党の役割は、彼らの「こういうスタイルで踊りたいって思うんですよ」という話に対して、本当にそれでいいのかという突っ込みをいれる事なんだ。それに対して、「俺らだったらこういう風に踊る」という対案を出すのも役割の1つ。
1回振り付け通りに踊り始めると「このままでもいいかもな」って思っちゃうんだよね。実はその間にどんどんあさっての方向に踊りの隊列が向かっているかもしれない。その先に断崖絶壁があって落ちてしまうかもしれない。それを避けるために俺は「ちょっと待てよ。本当にこのまま踊り続けていいのか」というのを検証しなくちゃいけない。いくら踊り手になったからといって、官僚の振り付け通りに踊ってはいけない。つまり踊らされてはいけない。あくまでも自分たちの踊りを踊るということかな。重要だよ、官僚は認めないからね。



10年後の日本は今と変わっていると思われますか。


変わっていますね。



どのようにですか。


まずは、当然政権交代が起こっていますね(笑)つぎに官僚が振り付けをして政治が踊るというというのは根本的になくなっていると思う。あくまで政治が決断をし、方向性を決めていく。それに基づいて実際の実施にあたるのが官僚、役所、省庁、順番に変わっていく。その価値判断を行っていくのが政治家だから。
だけど今はそうなっていない。官僚が先に振り付けを決めていく。その意思決定のスタイルがまるで変わっている。これは間違いない。あとは人のやる気を阻害してしまいそうなもの、例えば人の邪魔になっている規制とかは根本からなくなっているはずだね。そのために俺たちは政権交代を目指しているんでね。



10年後の松本議員はどのような活動をされていると思いますか。


ある意味では今と変わっていないという気もしますね。
朝は街頭演説やって、外回りに出て、土日は座談会をやってという地元の活動は変わらない。 ただ国会での活動は政権交代が起こっているので(笑)。今の俺の国会活動は、与党に対する野党としてチェック機能、質問が中心なんだけど10年後は与党になっているので政治が法案を決めて提出する議員立法。その議員立法の提出者としての活動に軸足が移っていると思うよ。与党だし官僚主導から本当の政治主導になる。政治が方向性を決断する。俺らが政権を取れば変わるはずだから(笑)。でも日常の活動は今と変わらない。



とてもエネルギッシュな松本議員ですが、松本議員から見て今の若者に感じることをお聞かせください。


よく学び、よく遊べですね。遊びというのは余裕というのかな。俺が普段接するインターン生や大学で講義をさせてもらったときに話をする生徒さんをみると、みんな賢い・真面目。そういった意味でいうと熱心だけど、前例をよく学びできるだけ失敗をしないようにして賢い選択をして、最短距離でゴールに行くという風に俺の目には映るんだ。それよりも失敗をしてきた寄り道のほうが実は後で自分の根っこになる。失敗はよく覚えているじゃない。よく遊べっていうのはそういう意味。たまには寄り道してどんどん失敗すりゃあいいじゃない。前例学んで失敗を最小限に抑えて、賢い選択を常に行って。つまり間違えないことっていうのに、すごく重きを置かれているような気がするけども間違ってもいいじゃない。そのほうが後で味が出てくる。自分にとっての本当に価値あるもの自分にとっての成功、働くとは社会と関わりを持つこととは。
すべての答えは葛藤とか失敗とか挫折とか、色んな経験の中から生まれるような気がする。それが溜まって沈殿して発酵して熱を出し始めてエネルギーになるのかな。
今、松本はエネルギッシュだと言ったのは多分その違いだと思う。もうツーンと発酵しちゃっているから(笑)。沈殿して発酵して熱を出し始めて、それがエネルギーになっていると思うんだよね。だからもうちょっと寝かせて遊んで色々失敗をして、溜まってツーンとにおいを発し始めたときにエネルギーになって人の味が出てくるのではないかとそう思うね(笑)。。



最後に松本議員にとってのJapan Produceをお聞かせください。


あえて言えば、国中のモチベーションを高めていくこと。社会とか国っていうのは自己実現の舞台なので。「あなたの人生の充実のために日本があるよ」とそういう国を作っていくこと。その舞台の条件整理というか、舞台を整えることが僕らの役割であり、言い換えると俺のJapan Produceかなと思う。
人生の充実のための人それぞれのモチベーションというのがあるわけじゃない。それを高めるためにできなかったことができるようになり、そういうチャンスは平等に与えられること。それから今ある能力を最大限に発揮して自分を試す。その結果頑張った人は報われる。努力が報われる。例え失敗したとしても何度でもやり直すチャンスはある。あるいはそういった活動を通して社会に貢献しているような手応えや誇りとかを得ることができる。というような励みを社会の中に用意していく。
元気が一杯ある国のほうがいいじゃない。結婚するなら日本人よねとかさ。日本人の男の人も女の人もいいよねとか、いい目をしているよねとかそういう国かな。素敵な人達とか粋な人達がいっぱいいる国を創りたいですね。



(インタビュー:2004-09)


1971.8.5 広島県に生まれる。
1995.3 東京大学法学部卒業。
1995.4 東京銀行(現東京三菱UFJ銀行)入行。
2000.8 東京三菱銀行退社。2001.4財団法人 松下政経塾入塾(22期生)。
2002.4 民主党広島県第2区総支部長に就任。
2003.11 第43回衆議院総選挙に地元広島2区から出馬し、初当選。
2005.9 第44回衆議院総選挙・比例代表中国ブロックにて当選、現在2期目。
※プロフィールはインタビュー時のものです。

関連記事
  • Vol.243 [首長] 木幡浩 福島県福島市長 「若者が行き交う県都福島へ」JAPAN PRODUCER INTERVIEW

    ジャパンプロデューサーインタビュー

  • 橋川市長プロフィール用
    Vol.242 [首長] 橋川渉 滋賀県草津市長 「誰もが健幸に暮らせるまちを」

    ジャパンプロデューサーインタビュー

  • 山本市長プロフィール用
    Vol.241 [首長] 山本景 大阪府交野市長 「財政再建から持続可能な住宅都市へ。元証券マンの挑戦」

    ジャパンプロデューサーインタビュー