ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.049 [議会議員] 江口 善明 久留米市議会議員 「政治家は神聖化された存在か?」

久留米市議会議員

自民党 江口 善明
政党 自民党
選挙区 福岡県久留米市
初当選年 2003年
当選回数 2回(市議選2回)
公式サイト

 

江口議員は、テレビ記者を経て久留米市議会議員になったということで、地方自治とジャーナリズムというふたつのテーマでインタビューしていきたいと思っています。よろしくお願いします。


はい、よろしくお願いします。



さて、早速ですが、どうして江口議員は久留米市議会議員になろうと思ったのですか?


俺はね、10歳の頃から政治家になりたかったんよ。
家族のことを話すと、俺が1歳のときに父が他界して、その後母は再婚して新しく子供ももうけた。
やけん、祖父と祖母に親代わりになって育ててもらったんよね。
亡くなった父はずっと弁護士目指して司法試験を受けてたらしく、自宅に法律の本がいっぱいあったんよ。それで簡単な法律の本を読むにつれて自分も興味をもった。
けど、弁護士を目指すんじゃなくて「法律って何かスゴイけど、法律自身が間違っていたらどうするの?」って考えて「自分は法律を創る仕事をしたい!政治家になろう!」って思ったんよね。 自分の家族関係に関して、何かコンプレックスがあって自分は普通の子より人の痛みが分かると思っとったし。やけん、自分だけを見ていく生き方やなくて「誰かのために何かできる仕事」をしたいと。
やっぱ政治家のなり方ってパターンがあると思うのね。官僚になって国会議員になるか、地方議会にでて政治家になるかとか、政治家の秘書やって政治家になるか・・・とかね。
官僚っていうのは、政府として国民を管理するという発想から動いてると思うのよ。それは自分には合わんと思った。東大に入ったわけでもないしね(笑)。
地方議会っていうのは、直に住民の話しや意見を聞いて、一緒に考える場だと思うのよ。それから、議会っていうのは行政との喧嘩の場。やっぱ自分は喋るのが好き。頼られるのが好き。
やけん、地方議会の議員が合ってるだろうと思った。政治の世界しか知らんのは駄目だろうと思って、一度は民間のメシを食おうと思って記者になった。



そうして、テレビ局に入社して報道部の記者になるわけですね。


正直言ってね、記者の方が儲かるよ(爆笑)。
けど、今は久留米市議会において「久留米市をどうするか」という議論の場におれる。自分の意見を通せる。
記者として色々な取材しながら「自分やったらこうするんやけどな」とか思ったときもあったし、政治家と有権者との感覚の差とかズレを痛感した。



例えばどんな取材で?


地域振興券ってあったやん。あれは国レベルでやったんやけど、地方自治体レベルでもやったところがあった。それで何で自治体レベルでも地域振興券やったんか取材しに行ったんよ。
そしたら隣町にでかいスーパーができて、地元商店街に人が来なくなっちゃうから、地域振興券で援助しようっていう動きやった。
けど商店街の人に話し聞いたら、ばら撒きの地域振興券なんかやらんで、もっと他の対策とか施策をして欲しいって言って、積極的賛成の人はあんまりおらんかった。
それとか介護疲れの末の家族心中事件を取材したときには、社会のひずみを痛感した。介護保険制度ができる前の事件やったけんね。
その時、政治の力で社会のしくみを変えないかんのやないかって思った。



私にとって、4月に起こったイラク人質事件が、ジャーナリズムと政治との関係について考えるきっかけになったのですが。ジャーナリストにできることと、政治家にできることの違いってあると思いますか?


うん。やっぱ記者として取材しながらやりがいも感じたけど、一方でこのまま報道を続けても何にも変わらんっちゃなかろうかって葛藤を感じたこともあった。
それから答えになるか分からないんやけど、ジャーナリストってカッコよく言うけど、そんなたいそうな仕事かな?ジャーナリストって単に正当化された野次馬って思うんよ。
ジャーナリストっていうのが、すごく正当化・神聖化された存在と思わん。イラクで起こってる事件より、隣のばあちゃんが死にかかってることの方が大切なときってあるやん。
そのスタンスはボランティアとか政治家に対しても一緒。ボランティアを神聖化したくない。
俺は大学生のとき、トータルで6ヶ月阪神大震災の復興ボランティアをしたんやけど、一度ボランティア仲間の間で糾弾されたんよ。俺は、被災地でも酒を飲むべきだと主張した(爆笑)。
けど「酒なんて飲んで、被災地の方に申し訳ないじゃないっすか」とか泣く後輩がおった。
そんなボランティアは被災者と同じになってはいかんと思う。同じになろうと思うことのほうが偽善やん。余裕がなければボランティアなんかできんしね。
政治家に関しても、「政治家って、机の上ですずしい議論をしているだけでいいのか?」って思う。地方議員をしとったら、近所のおばあちゃんが個人的なお願いとか相談事とかしてくるよ。 けどその中から市の問題点が見つかることもあるし、自分を応援して議会におくってくれた人の頼みやけんって思って何とかするように頑張るね。
市役所は敷居が高いのかもしれん、江口のにいちゃんの方が頼りやすいのかもしれん。そんなに世の中、単純じゃない。誰もずっとキレイなままでおれんやろう。
何が絶対的な悪で、何が正当化された絶対的な善っていうことはないと思う。
けどね、近所のおばあちゃんの頼み事だけをきいていくことが、自分の「仕事」とは思わん。「本業」やないって自負はある。
俺は政治家として、議会での質問つくっていく過程とか委員会での質問だけが緊張はするけど、充実感はある。やけん、すべてはそのときのためにって考えてる。地域のお願いを聞くことは仕事じゃない。義務じゃない。けどそれを聞かないで選挙に勝てなかったら意味がない。
4年間で議員が終わってしまったんじゃ、施策がきちんと実行されないかもしれないから。自分でも一番悩むところやけどね。



では、人生の岐路に立つ学生に人生の先輩として一言お願いします。


今の若い世代のあなた達に対して一番申し訳なく思うのは、この不況やね。
最近、行政改革・行政改革って一生懸命やりよるけど、行政改革は「目的」じゃないでしょう?それとムダを削ることは大事だけど、減点式の行政だけでは何も生まれないと思う。
行政改革そのものは物事の本質じゃない。組織をスリム化してその後に何をするのかが重要なんやん。
俺らが大学生のとき比べて、あなた達の世代は景気があんまりよくない。
その中でどうやって「自分の夢を描け、叶えていけ」っていえるかなって悩むね。自分が成長していくのと自分の地域や国が成長していく一体感というのが、国全体のバイタリティにつながると思うのね。それを韓国に留学した時、韓国人の元気さを知って感じた。
そのバイタリティというのが今の日本に足りないものだと思う。



色々なお話を伺って、どうインタビューまとめるのか不安ですが、頑張ります。どうもありがとうございました。


ありがとう。



インタビュー後記


2人の元気なインターン生も一緒にインタビューを行いました。爆笑とオフレコ発言と脱線が絶えないインタビューでした。今までに20回の選挙を手伝ったという、選挙オタクの江口議員。 ちなみに大学4年の1年間で50単位を奪取したという逸話を持っています。



(インタビュー:2004-07)


1974.3.26 福岡県久留米市に生まれる。
1986.3 久留米市立荒木小学校卒業。
1989.3 福岡教育大学附属久留米中学校卒業。
1992.4 松尾学園弘学館高等学校卒業。
1997.3 早稲田大学社会科学部卒業。
・在学中、歴代首相を輩出した早稲田大学雄弁会に所属し、地方活性化を訴える。
・阪神・淡路大震災(平成7年)では震災直後から通算6ヶ月間ボランティア活動。
1997.4 KBC九州朝日放送株式会社入社、報道部記者として勤務。
福岡県内の政治・経済・社会問題全般を取材する中で、地方自治の重要性を痛感する。
ソウル大学大学院政治学科修士課程留学。
未来志向の日韓関係、隣国から日本政治のあり方と考える。
1999.1 政治家を志すため、KBC九州朝日放送を退社。
1999.2 品川区議会議員渡辺あけみ後援会選対事務局長就任。
1999.6 韓国・延世大学校言語教育研究院韓国語学堂入学。
2000.8 ソウル大学校社会科学大学政治学科修士課程入学。
2001.8 株式会社全教研入社、社会科講師として勤務。
2002.3 久留米市議会議員を目指し、退社。
2003.4 久留米市議会議員に初当選(最年少29歳)。
2007.4 久留米市議会議員選挙2期目当選(最年少33歳)。
現在、久留米市議会議員のかたわら、河合塾福岡校で浪人生相手に政治・経済を教える。
※プロフィールはインタビュー時のものです。

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