ジャパンプロデューサーインタビュー
Vol.030 [国会議員] 逢坂 誠二 衆議院議員 「「あたりまえ」ということを心がけています」
衆議院議員
民主党 逢坂 誠二
政党 民主党
選挙区 比/北海道ブロック
初当選年 2005年
当選回数 4回(衆議院選1回、町長選3回)
公式サイト
YAHOO!みんなの政治
今日はよろしくお願いします。逢坂議員が町長になる前は何をしていたのですか?
私の町長になる以前の職業は役場の職員です。
大学では物理化学を勉強し、将来は研究者になろうと思っていました。
ところがある事情でニセコに戻らなければいけなくなりました。田舎では就職の選択肢が少なくて、結局役場に就職することになったのです。
こう言ったら生意気に聞こえるかもしれないですが、もともと私は公務員という職業が大嫌いでした。
杓子定規で融通が利かない、想像性に欠ける。外から見ていて面白そうに見えませんでしたし、どれほど価値のあることなのか理解できなかったのです。実際公務員になってみると自分の想像以上に公務員の世界はひどいものでした。杓子定規で融通が利かない、何か問題があることがわかっていても正面からその問題を議論しようとしない。仕事の質も、周りを見ていて向上しているようには見えませんでしたし、目線も必ずしも住民の方を向いていません。当時よく出ていた公務員の世界の暴露本を読んでみたら、どうもこう思っているのは自分だけではないらしいということもわかりました。
そういった中で町長をやろうと思った背景は何だったのですか?
ふるさと創生1億円事業というものがあったのです。
マスコミは自治体が何にお金を使ったのかに注目していましたが、私は1億円の使いみちをどう決めたかという政策決定のプロセスに注目していました。眺め回してみると、自治体によってかなり差があることがわかりました。住民参加で決めたり、シンクタンクに調査を依頼したり、アンケートを実施したり、首長独自で決めたり、使途を決められなくて政策自体が宙に浮いてしまったりと様々だったのです。
そこから日本の行政は政策決定のプロセスが全くできていないということに気づきました。
つまり自治体の意思をどうやって決めるのかの手法については定まったものがないのです。定まったものがないため自治体の政策決定にはレヴェル差が生じます。そうすると同じ税金を払っているのにそこから出てくるアウトカムは自治体間で違い、住民の満足度に影響を及ぼしてきます。
役所の政策決定レヴェルを左右する要素はいくつかあって、1つは役所の力や首長の資質、もうひとつは市民の力なのです。
中でも役所の力がとても大きいと言えます。役所が頑張らなければ役所に収めている税金がきちんと使えない。そのようなことは小学校の教科書に載っているくらい当たり前のことですが実体験として切実に心に訴えてきたのです。そのことがきっかけで公務員の仕事を別の目線で見られるようになりました。キチッとしたことをしないと地域がよくならない、日本がよくならない。
日本は3300の市区町村の集まりと見ることもできるわけですから1つ1つの細胞からよくならないと日本もよくなりませんよね。
それで町長をやろうと?
黒澤明監督の「生きる」(1952)という映画がありまして、それは市役所が舞台なのです。
学生のときにも一度見たことがあったのですが、これが結構、問題を抱えている市役所でした。でもその問題は、今現在(平成元年当時)、まさに自分が勤めている役場が抱えている問題と全く同じだったのです。
つまり30数年間、日本の公務員の仕事は変わっていなかったということですよね。これは大問題だなと感じ、公務員の仕事に正面からぶつかっていこうと思いました。
第2段階としては財政的な問題です。
私が町長になった当時、つまり1994年頃というのは国の借金についてはあまり問題とされていなかった。対岸の火事とでもいうべきでしょうか。しかし、私は財政がこのままうまくいくとは思えなかったのです。つらい時代が来た時に本当の意味で、民主主義の必要な時代がやってくる。役所が住民につらい政策について説明をする、また納得してもらえるような備えが必要だと思っていました。それを担える職員が必要だと思っていました。つまり厳しい時代に対応できるような役所を作っておかなければ、対応できる政策決定の手法を手にしなければ後で大変なことになると。そういうわけで町長という道を選ぼうと思いました。
町長になった目的は何だったのですか?
行政のあり方、行政の行動の仕方、ものの考え方を変えたい。というのが目的でした。 しかし、そうしようと思っても(選挙では)なかなか支持が得られないのが実状なのです。住民にとっては目に見えるもの、形に残るものがほしい。でも目に見えるもの、形に残るものが必ずしも政治ではない。みんなが望まないことでもやらなければならないことがある。そこをどうやって実現していくのかが政治の大きな課題だと思います。
逢坂議員は選挙期間中お金をかけなかったり、選挙協力を求めなかったりすると聞きましたが。
選挙はとても大事です。選挙のスタイルは、当選後の行政のスタイルそのままだからです。
9年前に選挙に出馬したときは実は公約という言葉を使っていないのですね。
最近よくマニュフェストという言葉を耳にすると思いますが、それがあたかも全部実現できるかのように錯覚するケースが多いように思います。
自治体の予算の動き、事務事業の決定の仕組みを頭に置いてみると、予め選挙のときに掲げた事業をいつまでにやりますということを簡単に明示できるような状態にはないのです。現時点で来年の予算も決まってないし、決められもしません。だから私の場合“町づくり目標”というものを置き、町民に提示し、それをベースにしながら議論をするという形式をとりました。
それを繰り返して政策をブラッシュアップする。当選した暁には、政策目標を具体的な実現のプロセスへ導いてゆく過程を明示すること、これが選挙の活動でした。
つまり「住民参加」や「情報共有」は選挙のスタイルそのものであり、当選してから考えたわけではないのです。
ニセコ町では若者が政治に興味を持つような工夫などは何かしていますか?
政治という風に大上段に振りかぶっては考えていませんが、自分の身近なことについて興味を持って関ってもらいたいと思っています。
ニセコ町には町づくり基本条例というものがあり、その中で子供たちが町づくりに参加できる権利を保障しています。
なぜそんな権利を保障したのかというと、1つ目は日本では20歳にならないと選挙権が与えられませんが、20歳なると急に大人としてのいろんなパワーが身につくわけでは当然ありません。小さなうちからそれぞれの年齢にふさわしい社会性というものがあるわけです。
ですから「○○ごっこ」ではなくて、本当の社会の一員として子供の言ったこと、中学生がやったこと、高校生が考えたことを、その年齢にふさわしい形で実現していくことで子どもたちの社会性を養いたいと思っています。その過程の中に、たまたま法律上に定める二十歳というものがあるのだと思います。
2つ目として役所の仕事では、構想から実現させるまでに 10年程度かかることなんてざらにあります。ある子供が小学4年生の頃に持ち上がった構想が実際に実現する頃に、その子は成人を向かえるわけです。
つまり子どもには縁遠いと思っていた構想であっても、あっと言う間に、そこから利益を受け、または悪影響を受ける世代になる可能性があるのです。だったら小さな子供のうちから将来プラスになるかマイナスになるかわからないけど影響を受けるであろうことに関心を持ってもらうチャンスがあってもいいのではないか。そう思ったわけです。
そして最後に3つめの理由として日本は子どもの権利条約というものを批准しています。しかし国全体としてそれを具体的にどうやって担保しているのかあまり見えてこない。それならば自治体としてそのことを担保するために子どもの権利を認めようと考えました。
以上3つの理由で子供が町づくりに参加することを認めています。具体的な事例として子供町づくり委員会、子供一日町長、子供議会、中学の公民の授業で役所の資料を利用して取り上げてあげてもらうということなどをしています。
それともう1つの試みとして大学生のインターンシップをかなり早くから相当数受け入れています。日本の大学生はあまりにも子ども扱いされすぎていた気がします。社会との関わりが少なかった、ただキャンパスの中にいさえすればよいと。他にも大学生のサマーセミナーや大学生のゼミ合宿の受け入れを行っています。このことを通じて行政、地域づくりというものに関心を持ってもらいたいと思います。
あと余談ですが、役場の職員が大学で授業を教えたりもしています。
若者がまちづくりに参加することで何を期待しますか?
あまり期待するものはないです・・・冗談です(笑)。
既成概念を持って、こうあるべきだとかこうなってほしいという意味で期待するものはないですね。色々な体験、活動の中から、自由に感じ、自由に発想しつつ社会性を養ってもらいたいですね。また我々にない目線で物事を眺めてもらいたいという期待もあります。
ニセコ町では単に学生の皆さんに行政や政治に興味を持ってもらいたくてインターンを受け入れているのではないのです。私たちの行政や政治の業界というのは硬直化していますので、そこに社会の「当たり前」の視線をすべり込ませたい、その媒介役を学生の皆さんにもなってもらいたいのです。だから学生だけではなくて、企業の研修やよそからの視察というものもニセコ町では、積極的に受け入れているのです。異物なものとの交流から外からの視線というものを取り入れたい、そう思っています。
これからどういうことを若者に求めていきたいですか?
1つあげられるのは基礎です。これは重要ですね。
最近は“活動している”といえばそれでよしとする風潮があるように思います。
「○○しました。」というのは重要な体験ではあります。しかし、それ以前がしっかりしていることが重要です。
ものの考え方、ものの見方、学問、その課程をこなすことなく、外に見える形だけを実践していることでよしとする風潮は、あまり感心しません。そんなことばかりしていると、ものを考えない、うすっぺらな社会人が出来上がってしまいますから。
そのためには大学が何をするところなのかということを押さえなければいけません。そのことを踏まえた上で、インターンや社会体験などがあるべきだと思いますね。
最初にインターンがあるべきではないと?
そうですね。“インターンをしていれば”とか“社会に出て○○すれさえすれば”というのは間違いだと思いますね。大学の授業は具体的な形のあるものを材料にしていることが多いのですが、でも本当は、物を考える一般的な力、物を分析する一般的な力のような“一般的な力”を身につけていくのが大学なのだと思います。
それぞれの分野において勉強することは異なりますが、真理を探究するとか考える道筋をどうつけるかという点においては一緒です。そういうことを具体化していく、実践していくというのがインターンであったり、社会体験であったりするのです。この真理探究や知に対する一般的かつ本当の力を養うのが大学であり、そのことを踏まえた上で、社会での様々な活動があるべきです。大学外の活動が必ずしも前提ではないのです。学問にアプローチする基礎的な力を育てながら、外の活動をして自分の人生の幅を広げていってほしいですね。
編集後記
インタビューに行った際、役場の電気が半分くらいしかついていなくてビックリしました。
無駄なお金は一切使わないということを役場が率先してやっているんだなぁという印象を強く受けました。“スローな政治”というものを考えさせられたそんなインタビューでした。
1979.3 北海道立倶知安高校卒業。
1983.3 北海道大学薬学部卒業。
1983.4 ニセコ町役場勤務。(ニセコ町財政係長を経る。)
1994.11 ニセコ町長就任。(2005年8月まで3期にわたって務める)
2005.9 第44回衆議院議員比例北海道ブロックにて初当選。