ジャパンプロデューサーインタビュー
Vol.016 [国会議員] 石関 貴史 衆議院議員 「若手議員VS高齢議員という時代は終わろうとしています」
衆議院議員
民主党 石関 貴史
政党 民主党
選挙区 北関東ブロック
初当選年 1999年
当選回数 3回(市議選1回、県議選1回、衆議院選1回)
公式サイト
YAHOO!みんなの政治
石関議員が若手議員を世に送り出す活動※を始めたきっかけというのは何だったのでしょうか?
市議会を見ていて特に思うのですが、政治の世界では時が経つにつれ、ほんとうはできるはずのこともできなくなってしまうことがあるんです。人間関係のしがらみや自分の意識の低下などで。
私も3年半しか議員をやっていませんが、言いづらいことがやはり出てきましたからね。私でもそうなのですから、ベテランの議員はもっと多くのしがらみのなかで政治をやっているわけです。そういう議会を新陳代謝し、新らしい空気を入れることは非常に大事だと思いますね。議会のなかで一人若手の議員がいるのといないのではまったく違うんですね。
いきなり若手の議員が議会を改革できるわけではありませんが、議会のなかで世代の違う、若い世代から選ばれた若手の議員がいれば、ベテランの議員の方との間に議論が生まれるんですね。次第に硬直していく議会に突破口を開くことができるんです。若手議員を世に送り出したいというのはそういった思いからですね。
■若手議員養成スクール(代表・中根一幸)
若手議員養成スクールは今の日本の現状を憂い、日本を良くしていこうと考えている情熱ある若者を世に送り出すことをサポートする活動をしている。塾生は地盤・看板・カバンなしで上位当選し続けている。
→(代表・中根一幸ホームページ)
国の政治と地方自治体の政治で大きく違うのはなんですか?
地方自治体は権限がないことですね。
いま、その現状を変えようと動き出していますよね?
でも、明治維新から100年かけて中央集権ができあがったわけですよ。当時としては最高の知恵を結集して。
いま、地方分権が叫ばれていますが、実際に法律ができて議論が高まってきたのなんて10年経たないですよね。中央集権に至るまでの労苦を考えても地方分権に急激に変えるのは難しいことだと思っています。そういった現状を考えると一若手市議会議員の私がいまの時代にできることもおのずと見えてきますね。
『私が選挙で勝ち続けることが地元にいまの日本の政治の変革のながれを伝えることにもなると思っています。』
市議会に壁を感じますか?
いや、現状をしっかりと把握すれば自分のやれることはわかります。私は自分のやりたいこととできることとを常に考えます。明確な期待値を設定できればそういった思いは感じないはずです。
私にできることですが、さきほどの若手議員を養成することもそうですが、議会の雰囲気を変えることはできると思うんです。
最年少であっても市議会議員一人だけで政策面でできることってやはりかなり限られてしまうんですね。それほどないんです。ですが、私がいることで議会の雰囲気を変えることはできます。
議員は、みな、自分の常識で生きている訳じゃないですか?地方議員は特にそうですね。私が強く思うのが、東京でスタンダードなことでも地方に帰るとスタンダードではないことがたくさんあるんですね。それぞれ理由があり視点が違うのですから、どちらかが絶対的にいいということはもちろんありませんが、私がいることで、そのズレをすこしでも伝えられるのでは、とは思いますね。選挙のことでもそうですね。私は前回の統一地方選の選挙戦の半年前に地元に戻ったのですが、そのときにはお金が一千万かかるとか、一年間はコネクションをつくるような活動をしなくてはいけないなどと古いタイプの選挙ノウハウばかりを言われました。それはかつてはスタンダードだったのですが、現在はスタンダードではありませんよね。 そういった選挙はもはや一時代前の選挙になろうとしています。
私は自分の方法が時代に合っていると思っていましたし、勝てると思い出馬し、当選しました。
ですから、ある意味、私が勝ち続けることが地元にいまの日本の政治の変革のながれを伝えることにもなると思っています。最初は確かに若いというだけで当選しますが、それだけではこれからはやっていけなくなります。
石関議員のような若い方ならば市民のみなさんも議会を変革する期待をもって多く投票されると思いますが。
そうですね。確かにそういう部分もあると思いますね。市民のみなさんのなかには立候補者を十分に知らない方も多くいます。ですから、確かに若いというだけで投票する方もいますね。でも、そういう方も私を通して政治に多少でも興味を持ってくだされば有意義であったといえます。ですが、最初は確かに若いというだけで当選しますが、それだけではこれからはやっていけなくなります。
若手政治家VS年老いた政治家
若手政治家VS年老いた保守
といった若手政治家ブームのような時代は終わりが近づいていると思います。若手政治家も何かに徹し、本当の専門分野を身に付けなくてはいけないと思います。それができなければ、いくら若手でも、ベテランの議員を批判していても淘汰されていくと思いますね。
石関議員は職業政治家とおっしゃいますがどういう意味ですか?
我々の仕事は市民を幸せにすることですよ、一番は。そして、もっと言うと1人でも多くの市民の皆さんを幸せにすること。
では、そのために具体的にどんな活動をされているのですか?
政治家という仕事を逃げ場を作らずにやりたいという意味です。
何かの仕事をしながら空いた時間で政治に取り組むという方も多くいます。それも非常にいいと思うのですが、何かあったときに責任をとる人たちではないと思ってしまいます。私はそういう立場ではなくて、自分で責任をとるつもりでやっているということです。
責任をもって緊張感をもってやっているという意味ですね。
よく講演会とかあるじゃないですか?そういうとき、私はどんな方のどんな話が聞きたいかというと私が聞きたいのは責任をもって本業をやっている方の話なんですよね。
たとえば、工場をやっていてボランティアもやっている。そんなとき、私が聞きたいのはその本業のことなんですね。本業で苦しんでいる話を聞きたいと思うんです。
きれいな話ばかりではないかもしれません。資金繰りが大変だ、とか、どんどん工場が中国に移転してしまって困っているとか・・・でも、そういった話を聞きたいと思いますね。
落選したら食べられなくなる可能性もありますよね?
変な話、そういう緊張感が心地よいとも思いますね。もともと生活が不安だ、などと言ったら官僚を辞めませんでした。
石関議員は官僚を経験していて、中央と地方をつなぐパイプの役割を果たそうなどとは思わないのですか?
それはすこし難しいですね。国や省庁で議論されている話を風呂敷に包んで持って帰ってきて、そのまま話して市議会のみなさんが納得してくれるかと言ったらむしろ反発されるほうが大きいでしょうね。おれたちには関係ないな、と思われるのが関の山です。ですから、そういった知識は自分を向上させてくれる情報ということで勉強のつもりで得ていたりします。若手で突破力がありながらしっかりとしたものも作り上げられる。そういった若手議員でないと生き残っていけない時代になっていくと思います。
ほかの若手議員の方のなかには自分は破壊者であると言って、高齢の議員を批判することに徹している方もいますが?
だんだんと淘汰されていきますね。いまはおかしいおかしいと言っていればいいですが、社会の求めるものも変わっていきます。いままであるものを是正したりとか、そういうものは大事だと思うのですが、若手で突破力がありながらしっかりとしたものも作り上げられる。
そういった若手議員でないと生き残っていけない時代になっていくと思います。
話は変わりますが学生時代は何をなさっていたのですか?
学生時代は東南アジアの子供たちにバスケットボールをプレゼントするという目的のためにベンチャービジネスをやっていました。当時は学生ベンチャービジネスというのが流行っていたんですね。資本金を集めるために、大学からお金を落としてご飯が食べられないなんて言って大学からお金を借りたりしました(笑)。そうして工面したお金や仕送りを出し合って株式会社を作ったんです。5人で20万づつだして、100万円を集めて。
その活動を2年くらいやっていましたね。でも、政治家になりたいともともと考えていましたので公務員試験直前に官僚になることを決めまして試験間際に勉強会に入れてもらって試験を受けました。もともと短期間に集中して勉強するタイプなのでなんとか合格することができました。
官僚のころ、留学なさっていますよね?
そうですね。日本では得られない違った視点を得ることができたのは貴重な経験となりました。
たとえば護送船団方式のことなど日本の常識を話すと、ムキになって議論をしかけてくるんですね。その議論のなかで日本の外側からの見方を知ることができました。
その視点を学べたのはよかったですね。物事はすこし離れてみないとわからないですから。
これからは大きな視野で自分の市に必要なものを見えることが必要になりますね。
これから、地方議員もその地域のことだけではなく国際的な視点も持つ必要が出てきますか?
もちろんです。ほんとうに地方分権がすすめば、かならず地域間競争になっていくでしょうから、大きな視野はかならず必要になります。
地方交付税を国家がだせない状況になれば、地方で創意工夫してやっていくしかならなくなります。そのときは大きな視野で自分の市に必要なものを見えることが必要になりますね。 姉妹都市と友好都市というものがありますが、伊勢崎市もアメリカのある市と中国の市と提携をしています。でも、どちらもただの田舎なんですよ。提携してもあまりいいことがない。同じおカネをかけるのならもっとメリットのある都市と提携できたハズです。
なぜこんな状況になってしまったかというと、かつてはそういう友好都市というものが流行ったんですね。で、いざ伊勢崎市でもやろうとなったときにこの提携の成立過程を調べてみますと、いざ伊勢崎市でもやろうとなったときに市の中枢に広い視野で見ることができる人がいないから身近なコネに頼って決まっているんですよ。
なんで中国の市と友好都市になったかというと地元の企業の社長がたまたまその市の市長とつながりがあって、そのツテで紹介してもらったりと、それだけなんですね。これではほかの政策も推して知るべし、ですね。
これはずるいかもしれませんが、自分の市が発展するような相手と付き合っていかないとこれからはやっていけません。伊勢崎市も変わっていくでしょうし、変えなければいけないですね。
伊勢崎市を変えるとはどういうことでしょうか?
私は伊勢崎市を国際的に見ても尊厳があり、自信がある市にしたいんです。そのためには伊勢崎に住んでいる人たちに尊厳をもってもらわないといけない。尊厳ある人は決してひとに横柄に接したりしません。それでいて卑屈にもなりません。
たとえば英語がしゃべれなくてもアメリカ人に対してであってもイギリス人に対してであっても卑屈にならない。自分のなかに確かな自信があり生きていく市民に、誇りを持てる市にしたいです。
石関議員のアイデンティティとはなんですか?
伊勢崎市の市民であることにアイデンティティはもちろん感じてますよね。官僚を辞めたときも東京都のほうが受けがいいのでは、などと誘われましたがよくするなら自分の生まれた市で、と考えました。そういうものはもちろんあります。
明日の日本に必要なのはしっかりとした審美眼をもった人材です。
石関議員は明日の日本や地域をどう創っていきたいと思ってらっしゃいますか?
私は明日の日本、地域を創るのは教育だと思っています。これからの時代、こどもたちが教育によってもっとも身に着けなくてはいけないものは審美眼とでもいうべき能力だと思ってるんです。
審美眼というのはさまざまなもののなかで本当の美しさを見極める能力です。
これがさまざまな情報のなかから自分に必要な情報を選択するうえで重要になると思います。
たとえば、自分の国の文化をきちんと教えることでこの能力を育むことができます。自分の文化を知り、そのよいところも悪いところも評価する。その過程は文化を知るだけではなく、自分自身のことも深く知ることにつながるんですね。
自分自身を知ることでしっかりとした価値観を作り上げていく。こうして自分のなかに確かな審美眼を作り上げていく。これからの時代はさらにさまざまなもの、情報、生き方が溢れていくでしょう。
そのなかで自分にもっとも合ったものを見つけ出し選び出す力を持った人材こそ、明日の日本に必要な人材だと思っています。その力を身に付けられるような教育を創ることがいま大事ですね。
インタビュー後記
一歩を身体をひくことで大局的に日本を市を見つめる石関議員。若手議員の方のなかにもこんなにバランスのいい方がいらっしゃるのか、と驚きました。ぼく自身のふるさとということもありますが、これからの石関議員に注目していきたいと思います!
1990.3 群馬県立伊勢崎東高校卒業。
1994.3 早稲田大学政治経済学部卒業。
1994.4 同年郵政省入省。同年郵政研究所金融・経済担当研究官。
1996 郵政大臣官房人事部付ロンドン大学大学院修士課程(国際関係論・政治学)留学。
1997 郵政省放送行政局衛星放送課データ放送係長。
1998 放送政策課政策係長にて退官。ふるさとに戻る。
1999 伊勢崎市議会議員に初当選(トップ当選)。伊勢崎市議会総務常任委員、若手議員養成スクール群馬塾塾長などに就任。
2003 群馬県議会議員に初当選。
2005 衆議院議員選挙で初当選。