ジャパンプロデューサーインタビュー
Vol.014 [議会議員] 桂 むつこ茨木市議会議員 「既成の価値観の中の幸せだけが幸せじゃない。自分で納得して毎日を過ごすとめちゃくちゃ楽しいよ」
茨木市議会議員
茨木市議会 桂 むつこ
政党 無所属
選挙区 大阪府茨木市
初当選年 1997年
当選回数 1回(市議選1回)
公式サイト
前回の選挙活動でユニークな事をしていたとお聞きしていますが・・・。
駅前に“こたつ”を出しました。ちょうど選挙が1月だったので、すごい寒くて。こたつと言っても電気もなく、枠組みだけだったんですけどね。みんながこたつに入って「あのドラマさ~」という感じで、世間話をするノリで政治の話をしたかったんです。
名前を連呼したり街頭に立ったまま演説するのは、すごく一方的に喋ってる気がして。1wayじゃなく2wayに近いカタチにしたかったんですよ。選挙活動を一方的ではなく、双方向的に変えたかったんです。
それと、同じ目線で話すのではなく通行人が「何やってんの?」というふうに、見下ろしてくれるような選挙にしたかったんです。こたつは必ず1席は空けておいて歩いてる人にも入ってもらっていろんな話をしました。
最初は「この人は何をやってるんだろう??」という感じでしたが、2日目・3日目となると差し入れをくれる人もいたり、「寒いから気をつけて下さいね!」と声をかけてもらったりして、とても楽しかったです。高校生も聞いてくれたり、ツッコミを入れてくれたりして、とにかく「一人よがりじゃない」「少しでも市民の人に参加してくれる、というより楽しんでもらえた」選挙ができたかなって思います。
それともう一つ、妊娠6ヶ月の選挙だったんです。選挙の中で妊娠に対してどう対応するのか、選挙を一緒にやってた仲間の中で意見が割れました。「妊娠していることを売りにするんじゃなく、1期目にやってきた事を伝えて中身で勝負したい」という意見と「妊娠していても、どんな体のコンディションでも政治にコミットできるよ、というのを伝えて欲しいから、ちゃんと妊娠している事を言って欲しい」という意見に割れたまま、選挙戦に突入しました。
だけど男性候補者だったら自分の妻が妊娠していて、もうすぐ子どもが出来るっていうのは別に選挙で言わないじゃないですか。で、私の場合はそれほど前面には押し出さなくても、私を見れば妊娠してるって分かるから、ただ事実として伝えました。それでもみんなが選んでくれるかどうか判断を仰ぐべきだと思ったんです。 あと、街頭宣伝とかでみんなが交代でマイクを持ちましたね。候補者だけが喋るんじゃなくて、応援してくれている一人一人が「なぜ桂睦子を応援しているのか」「今の政治をどうしたいのか」などを喋るようにしました。他の候補者や市役所の方からは「桂議員、自暴自棄なの?」とか「いったいどうしたの!?」とかすごく言われました(笑)。けど選挙って当選・落選だけじゃなくってエンターテイメントやキャンペーンの要素も含んでいると思うから、これだけ堂々とマイクを持ってアピール出来る時に市民の人に分かりやすく・興味を持ってもらえるように演出する事も候補者の仕事だと思っています。
妊娠6ヶ月の選挙ということでしたが、選挙をやめようとは思わなかったですか?
思わなかったですね。今、20代・30代の女性が議員になってるのってとても少ないんです。
私が28歳で初当選した時は、西日本で20代の女性議員は私一人だったんですよ。
女の人は大部分の人が出産を経験してるけど、じゃあその間は政治からも仕事からも一旦退かなければならないのか、ってすごく考えました。結果として、出産の前日まで仕事をしていたし、出産後もペースは落ちていたけれども議会に出て、やらなければいけない最低限の仕事というのは出来たと思います。
妊娠・出産によって仕事が出来ないとか、決定的に有権者を裏切ることにはならない、と私は思っています。
その選挙を経て、今までの議員生活を振り返ってみてターニングポイントはありますか?また、それはいつですか?
まさに今ですね。「今」という理由は2つあります。
1つは、私は3期である12年間で茨木市議会議員は辞めようと思っています。今がちょうど折り返し地点の6年目なんですよ。
12年で辞める理由の1つは、入れ代わり立ち代り新しい人に議会に入ってほしいから。また、12年で出来なかった事をタラタラ続けていても仕方ないだろうって思うから。
それともう1つ、来年の統一地方選挙に私のところに来ていた2人のインターン生が出馬します。「若い女性がどんどん選挙に出てね」という活動を6年間やってきて、その役割を引き継いでくれる人が2人できたので、彼女たちが議員になったら私は次のステージに進まなければならない、と思うんです。
では話は変わるのですが、桂議員は世間で言われている「事実婚(事実は婚姻関係を結んでいるが、法的手続きをとらないもの)」をされていますが、何故その道を選んだのですか?
まず訂正をさせてください。「事実婚」は違います。
「事実婚」という言葉を私は使っていません。「婚」じゃないんです。子どもの父親である彼も「婚」とは言っていません。事実婚でも1対1の「夫婦」という関係をつくる訳じゃないですか。私たちの関係は「友達同士で子どもを育てています」というのが一番近いですね。
その理由は、「私は私」という自己決定権をずっと持ち続けていたいと思うからなんです。夫婦になると財政的な依存とか、自己決定権が狭まれるとか、いろいろな事があると思うんです。
そういう事から出来るだけ離れていたいと思うんです。私の精神のあり方が自由でいたいなっていうのと、あと、制度で私と彼との関係を規定されたくないというのが、今の関係を選んだ理由ですね。
それを自分勝手だ、と言われる事もあります。だけど自分が社会的に果たさなければならない責任(例えば子どもに対しての責任)はきちんと遂行していこうと思っていますよ。
子どもが生まれて1年半たったけど、何の支障もなくやっていますね。私も彼も仕事を持っているので育児は半分こで。子育ても自分を押さえ込んでまでやらなくていいので、とてもいい環境ですね。
確かに毎日四六時中子どもの側にいてあげられませんが、その代わり、休みの時や子どもが寝る前に子どもをムギュ~って抱きしめたり、一緒に本を読んだり、お風呂に入っていろんな歌を歌ったり・・・。
四六時中側にいてあげられないからこそ、子どもと一緒にいる時間をすごい大事にできます。それと、彼も育児休暇をとったけど、その間給料が出なかったり、ボーナスにも影響したんです。育児休暇の制度が改正されればいいなっていうのは、経験から切実に感じます。育児休暇をとって、後々に負担にならないシステムが必要ですね。
桂議員にとって、『Japan Produce』とは何ですか?
これだけグローバリゼーションが進んでいる中で、日本という1国だけをプロデュースする感覚では立ち行かないと思うんです。だったら『WorldProduce』という“地球規模でのプロデュース”や、もしくは『HumanProduce』という“人間をつくるってどういうことだろうという問い返し”の、どちらかの視点が必要だと思います。けど両方ともしたいですね。地球規模で考える事と1人の人間個人が生きていく生き方を、ずっとずっと考え続けたいです。
出来るだけたくさんの人と問い続け、考え続けていきたいと思っています。
当たり前の事なんて何にもなくて、「当たり前」とされている事をちゃんと言葉で説明できるようにしたい。政策においても自分の主張においても根拠をしっかり持ちたいですね。使う言葉の1つ1つにもこだわりたいです。
私が何かをプロデュースする時に、考える人・問い続けられる人を増やすという事が地球をつくること・地域をつくる事だったりします。1人1人の人間とのつながりの中から政策や哲学が生まれて、それ自体が何かをつくっていくこと・それ自体がプロデュースすることだと思っています。
個人的な話なんですが、私はいま就職活動の最中で自分の将来に不安を抱えています。同じような悩みを持つ人は若い人たちの中にも多いと思うので、そういった若者へ、ぜひメッセージをお願いします。
逆に聞きたいのですが、何が不安なんだろう?
希望する仕事に就けるか、とかですね。
希望するところに就けないのなら、自分のやりたい事を自分でつくりだす事は出来ないのかな。
今自分が理想としてるものをもしかして既成の価値観の中からしか選択できてないんじゃないかな、ということをすごく問いたいですね。
「こうなる事が幸せ」「こうなる事が将来の安定」っていう事が本当に自分が幸せなのかどうかっていう問い返しをして欲しい。そして、自分は何のために生きてて、仕事を「食べるための仕事」というのと「自分が生きてる価値を見い出すための仕事」という両方の側面から見直してみて、就職活動という機会を使って考えて欲しいな、と思います。そうしてみると、日本社会で就職することだけがベストではないし、世界のなかでNGOとして就職して働くこともあれば海外企業に就職することもあったり、自分でベンチャー企業を興すこともあったり、いろんな選択肢がありますよね。
学生のみんなはそこまでのことを就職する時に考えてるのかなぁというのには疑問を抱きます。情報が少ないのが原因かもしれないけど。
「こんな生き方があって、こんな価値観で仕事してるよ」っていう事とか、何となく当たり前になっている事(例えば「就職するのが当たり前」とか「こういう企業に入るといいよね」という事)は常識では無くなるという事を、若い政治家を見ることで知ってもらえたらすごい嬉しく思います。
男の人でも女の人でも、「自分の生活費は自分で稼ぐ」という事が基本ならば、男の人が「家族を養わなくっちゃ」と変にチカラが入ることもないし、女の人だって「私と子どものことは自分で何とかしよう」という風に、お互いが自立できてもっともっとラクにいろんな就職先が探せるんじゃないかな。
性によって「こうあるべき」という枠を取り払っていきたいですね。自分は自分で、自分の個性で生きていければいいな。生きていて元気な以上は何でも出来る。何でもするチャンスがある。やってダメだったら、次の道を考えればいいし、最初から自分で「終点」を決めることはないじゃない。
自分が生きたいように生きたらいい。
自分で納得して毎日を過ごすとめちゃくちゃ楽しいよ。
インタビュー後記
今回は、『Japan Produce』初の女性議員である桂睦子さんへのインタビューでした。
桂議員はインターンにおいては関西で人気の受け入れ議員の1人です。
取材で予定していた時間もあっという間に過ぎるほど、桂議員との話はとても楽しかったです。とても気さくな方で、私は今回の取材の前に個人的に恋愛相談にのってもらいました(笑)。今回の取材の内容をすべて載せれないのが残念です。
1983 全国中学生大会奈良国体にて新体操で優勝。
1984 大阪体育大学中退後、アパレル会社勤務。その後、フィリピン支援ボランティアと祖母の介護を通して市議へ。
1997 28歳で茨木市議会議員となる。
2001.6 出産。前回の選挙は妊娠6ヶ月の選挙であった。議員歴6年。経験を通して育児・教育の問題にも取り組んでいる。