ジャパンプロデューサーインタビュー
Vol.002 [議会議員] 友田景 柏原市議会議員 「僕は自分の能力を十分に発揮できていない」
柏原市議会議員
柏原市議会 友田 景
政党 無所属
選挙区 大阪府柏原市
初当選年 2001年
当選回数 2回(市議選2回)
公式サイト
野球では強豪野球部から声がかかり、テニスでは日本ランカー、また高校生留学機関での活躍。ぼくから見れば友田議員は非常に多才な方のように見えるのですが。
多才と言ってくれるのはうれしいですけど、ただの器用貧乏だと思います。まず僕は自分で自分の力を十分に発揮しきれてるとは思ってないんです。それは僕だけに言えるのではなく、みんなについてもそうですね。僕は子供たちはみんな天才だと思っています。みんな天才なのに自分の力を発揮しきれていない。これは日本の教育の責任だと思ってます。日本の教育の犠牲者だと。
日本の教育がおかしいと感じられたきっかけは?
高校時代にアメリカに1年間留学したことがきっかけですね。白人もいれば、ヒスパニック、アジアンと色んな人種が混在している。キリスト教もいれば、イスラム教の人は一日に何回も礼拝したり、断食の時は太陽が昇っている間は唾も飲み込まない人がいる。
そんなことを目の当たりにする中で、世界にはいろいろな文化や価値観があることを、身体で知ることができました。ただ留学や海外でのボランティアで得た、もっとも大きなものは外国の文化ではありません。
海外生活で得たもっとも大きなものは、日本を外から見る目でした。その後に「日本おりぎり隊」として行ったアフリカのエリトリアという紛争中の国では悲惨な環境の下であっても、子供の目の輝きは生命力あふれるものでした。その時に思い出したのは日本の子供たちのつまらなそうな目だったんです。
その時日本の子供たちがどれだけ自分を活かしきれていないかはっきりと意識したんです。そしてその原因は教育にあると思いました。
具体的に、日本の教育のどこが悪いと思いますか?
個として生きていけるような教育がなされてないことですね。集団の中では大変に優秀だけれども、一人になると何もできなかったりする。
そのためには、まず自分のポジションをしっかりと意識する必要があると思います。人間として、日本人として、大阪人として・・・みたいなね。外国の人たちが自国のことを語るとき、かならず「誇り」が感じられるんです。それがアイデンティティーだと思うんです。
アイデンティティーは人間にとって、もっとも基本で核となり重要なものだと思うんです。
自ところが、日本人にはそれがない。というか欠けている。僕もそうですが自分自身のアイデンティティーが確立できないことで随分悩みました。
僕は子供のころ野球ばかりやっていました。ぼくの生活は野球がすべてでした。
ところが腰を壊し野球ができなくなると空っぽだったんですよね。野球しかなかったので何をしたらいいか、自分に何ができるかわからない。今の就職活動をしている学生の人たちも、そういう人いるんじゃないかな?学校は国語や数学いろいろ教えてくれたけど、僕が一番教えてほしいものはそういうことではありませんでした。僕は自分の苦しい体験から日本の教育の悪い点を意識し直したんです。
アイデンティティーの話がでましたが、友田議員のアイデンティティーってなんですか?
友田家の一員であること、柏原人であること、大阪人であること、日本人であること、地球人であることの誇りが、僕のアイデンティティーですかね(笑)。僕は野球をやめて自分のアイデンティティーのなさを痛感して以来ずっと自分のアイデンティティーをどうやって確立させるか悩んできました。
具体的な行動もしてきました。その思索や行動を通してみんなのアイデンティティーを確立させるお手伝いをすることや自分の国や町に対する誇りをつくっていくことが、僕にとってのアイデンティティーではあるとと気づいたんです。
そこには僕にしかできない仕事があると思いました。そしてそれができるのは政治家だと思いました。そこではじめて出馬を決意したんです。だから僕が政治家になったのは自分のアイデンティティーを確立するためでもあるんです。つまり「友田景」自身の死活問題でもあるんですね。
だから僕はこれだけ政治に本気なんです。
2001.9柏原市議会議員選挙にて初当選。
2005柏原市議会議員選挙にて2期目の当選。
高校時代は阪神大震災ボランティア、大学時代は、高校生留学機関のボランティアとして活躍。また、スポーツ万能で、高校進学時は某強豪野球部から誘いがかかるほど。腰を壊して野球を断念したあと始めたテニスでも、抜群のセンスを発揮し、インストラクターとして指導に励みながらも99年にJOPポイント(日本ランキング)を取得する。
その後、教育の現場を自分の目で確かめようと、保育園で働き、人間にとって育つ環境がいかに重要か、また、日本がいかに子育てに厳しい環境か痛感。日本の現状を変えるべきものは政治なのではないか、と政治を強く意識するようになる。
jpでの議員インターンシップの経験や、アフリカのエリトリアへの国際交流の経験から、出馬を決意。そして、柏原市議会議員に、25歳・最年少・最高得票で初当選。