ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.244 [首長] 明岳周作 広島県江田島市長 「命の尊さ、小さな出会い、そして縁」


JAPAN PRODUCER INTERVIEW vol.244

“命の尊さ、小さな出会い、そして縁”
江田島市長 明岳市長


穏やかな瀬戸内海に囲まれ、明治時代から続く海軍のまちとして栄えてきた江田島。そんな江田島で市長を務める明岳市長の半生とこれからの江田島についてお話をお聞きしました!

【優しさと使命感からの転機】

—はじめに、市長を志したきっかけを教えてください。

明岳市長:

もともと呉市役所で働いていた私が、60歳のときにあった出来事がきっかけです。私は大学時代に病気で2年間休学し、その間に父親が倒れ、復学のために奨学金が私にとって必要になりました。奨学金の申請のために初めて呉市役所を訪れました。奨学金の申請は複雑だったのですが、女性職員の方が申請書の書き方を親切に教えてくださり、他課の窓口まで一緒についてきてくださいました。その親切な対応に「市役所は、こんなにも優しく困っているときに助けてくれるんだな」と本当に感激しました。そこで復学後呉市役所で働くことを志しました。昭和54年に呉市役所に入所し、江田島市に住まいを移してからも勤め続け、平成27年には副市長に就任しました。

副市長就任の翌年、江田島市長と議長が呉市の小村市長を訪ねられて、私に江田島市長選挙への出馬を打診してもいいだろうか、と了解を求められたのです。
その話を小村市長から聞いたときに、一度はお断りしました。呉市副市長として4年の任期を全うしたかったからです。
ですが、小村市長からご自分が市長選挙に出馬されたときの話をお聞きして、「私もふるさとの江田島のために役に立つならば」と思い、市長選挙への出馬を決意しました。

【「教育の島」江田島】

―明岳市長の考える江田島市の魅力について教えてください。

明岳市長:

江田島市は本当に自然に恵まれた土地です。穏やかで美しい瀬戸内海と江田島六峰の山々に囲まれ、爽やかな風が吹いています。加えて、海上自衛隊の第一術科学校と幹部候補生学校があり、江田島市民にとって誇りとなっています。この学校は、国防の要である海上自衛隊の幹部を育てる国内最大の教育機関の一つです。明治21年に東京の築地から移転してきた海軍兵学校の伝統を受け継いでいます。さらに青少年交流の家もあります。海に囲まれた立地を生かした、カッター訓練等によって協調性や団結力を学ぶことができる青少年の健全育成を図る国の施設です。
このように、江田島市は特徴的な教育機関がある「教育の島」だと、私は思ってます。
また、江田島の牡蠣生産量はいつも隣の呉市と1位2位を争うほど生産量が多いまちです。
そのほかにもキクやバラ、スイートピー、トルコギキョウといった生花産業も盛んです。
農業ではみかんのほか、きゅうりの生産量は県内でも最大です。最近ではオリーブの振興にも取り組んでいます。

【未来への想いを語る】

—明岳市長の考える理想の江田島市とはどういったものでしょうか?

明岳市長:

江田島市は戦後初めて国勢調査があった時には人口63,560人のまちでした。
ですがそれ以降77年に渡り人口が減り続け今や21,000人になっています。戦後間もない頃の人口と比べると3分の1です。
30年後には、6,000〜7,000人になると想定しています。年平均で約500人減り続け、30年後には現在よりさらに約15,000人減少する計算です。
今後、江戸時代のような状況になるのかなとも思います。しかし、住んでる方々は必ずいらっしゃいます。私は30年後にも、たとえ人口が少なくても住んでる人がいきいきと元気に、ワクワクして、「この江田島で安全に安心して暮らせるね。」「江田島っていいまちだよね。」と言ってもらえるようなまちを目指していきたいと思っています。

【未来への挑戦、課題解決への取り組み】

—江田島市の課題を解決するためにどういった政策、取り組みをされていますか?

明岳市長:

今、ほとんどの自治体が人口減少や少子高齢化に対してどう対処するべきか悩んでいます。
江田島市でも、4つの取り組みを行っています。
1つ目は働く場所の確保です。既存の事業所の存続を図り、他市町から新たな事業に取り組んでくれる人々を誘致するプロジェクトを進める必要があります。そのためにもまずは、仕事の創出を進めていかなければならないと思っています。
2つ目は少子化の対策です。まちにとってこどもの存在は宝なんです。
「江田島っていいよね。」「安心してこどもを育てることができるね。」そういった子育て環境を整備していくことが必要だと考えています。
3つ目は高齢化対策です。江田島市の高齢化率は約46%です。人口の半分とまではいかないですが半分に届く勢いです。亡くなる方が年間約500人、新生児は100人を切っているので、自然減だけで年間約400人減っています。
この課題を解決するためにも健康寿命を伸ばしていく政策を考えています。
4つ目は他市町からの移住です。江田島を訪れ、マリンスポーツや登山など交流を促進していく、人と人とのつながり、「縁づくり」が必要だと考えています。
以上、4つの取り組みを市長に就任してから取り組んでいます。

—市のHPで「江田島未来ビジョンワークショップ」という中高生対象のワークショップを拝見しました。中高生に目を向けているのはなぜですか。

明岳市長:

江田島にとってこどもというのは宝なんです。中高生をはじめ、このまちに愛着を持って、このまちをよくしようという想いを持つ方が、10年後、20年後この島を支えてくれる人たちになります。そういう人たちが考える江田島はどういったものか。そしてそういう方々がどういうまちづくり、未来づくりをしたいか。そうした声を反映したものを第3次の江田島市総合計画の基本構想の中にいかさせてもらいたい、そう思ってます。

—ワークショップや行政経験の中で市長が気になったことは何かございましたか。

明岳市長:

令和6年度からの基本構想は「みんなの思う江田島のイメージ」を基にした計画になっています。先ほど話した江田島市にある豊かな恵みというのは、自然であるとか、生産される野菜や柑橘、牡蠣や魚に加えて、人と人との繋がりやぬくもり、 やっぱり素晴らしい人間関係なんですよね。
ですから、こどもからお年寄りまでみんなが輝いて活躍できる江田島を目指そうと、現在、基本構想の将来像を「豊かな恵みとぬくもりでみんなで輝き活躍できるまち」としています。
だから実現のためには、市民の意識改革(市への依存でなく、自らのまちは自らがつくる意識。)や、こどもさん、中学生、高校生の方も、今の段階から江田島のまちづくりに参画する意識も大事だと思います。
私の長い行政経験の中で感じますが、一部の住民の方は行政サービスを受けるだけのような感覚でおられると思います。けれども市民の方々は、この江田島市を運営する立場でもあります。
江田島市が進める政策や厳しい財政状況などを一緒に考えていきたい。みんなでこの江田島を育て、活発化して、守っていく。「人口が減少しているけれども少しでもそれを抑えていこうじゃないか。」という意識を、市民一人一人の方に持っていただきたいと思っています。

—このワークショップに参加する前と後で市民の方々に変化はありましたか?

明岳市長:

市内の県立大柿高校に通う、以前、江田島のまちづくりに興味を持たれた女子生徒たちからオリーブ事業について提言をいただきました。
オリーブは江田島の特産品です。今から14年前に田中達美・前江田島市長が耕作放棄地対策と、新たな江田島のブランドを作るためにオリーブの栽培事業を始めました。市民の方にもオリーブを自分の畑や庭などに植えてもらい収穫をしています。また、オリーブオイルの製造・販売もしています。全校生徒約100人の大柿高校ですが、1年生から3年生までの有志がオリーブを活用したまちづくりを研究し、昨年、文部科学大臣賞をいただきました。その女子生徒はこの4月から地元の郵便局に勤めており、「これからも江田島市のために頑張ります!」と言ってくれています。

—今の話を聞いてワークショップやオリーブ作りという経験を通してまちづくりに関わることで島への愛着心が芽生えたのかなと感じました。

明岳市長:

先ほど「教育の島」と言いましたが、江田島市では「里海教育」を行っています。
小学校5年生の時に市内の浜辺で海の生物を研究したり、イラストのコンテストをやったり、そのイラストを用いて潮見表のカレンダーを作ったりしています。20年以上、江田島市の教育に関わっているさとうみ科学館の西原館長は、「 ふるさとの自然を知るこどもは、ふるさとを語れる大人になる」という言葉を理念として、こども達に接してくれています。私もこのフレーズを大切にしています。
今年度からは、「島っ子の特権を教育に」というフレーズで、サップやカヤックなど海に囲まれた江田島市ならではの教育カリキュラムづくりや、牡蠣を養殖されてる方にインタビューするなど、様々なことに取り組んでいます。そういった積み重ねが、先ほど話したような素晴らしい大柿高校の生徒をつくってきたのかなという思いがあります。

【明岳市長がまちづくりに込める想い】

―先ほどお話し頂いた政策に反映されている市長の経験はありますか?

明岳市長:

病気を経験したことで人に感謝することや真面目に働く、生きることの大切さを学びました。地方自治体の使命は市民の福祉の増進です。つまりは市民の喜びを増やし悲しみを減らすということです。私の理想は仕事を通じて市民から「市の職員はよくやるな」「市の職員が宝だ」という言葉をもらえることです。私が学生の頃市の職員に感動したように、市長として、市民に寄り添って仕事を行い、市民に感動してもらい、市の職員が市民にとって宝のような存在になることを目指しています。

―学生時代の経験で今に生きているものはありますか?

明岳市長:

真面目に日々の仕事に取り組み、人のために役に立ちたいと考えるようになったことが、私が学生時代に得たことです。私は大学3年生の時、病気で休学するまでは、親元を離れて東京で一人暮らし、きままに遊び呆けていました。それから病気になったとき、自分を振り返って、なんと情けないと、何のためにこの世に生まれたのかと考えました。私たちは、一人の例外もなく、父と母があることによって、この世に生を受けることができました。誰もが母親から生まれ、親は2人、その父と母にもそれぞれ両親がいるわけで、さかのぼって計算してみた時、どのようになるのか。1世代が私の両親ですから2人、2世代では両親にそれぞれ親がいますから4人、3世代では8人、4世代で16人おられるわけです。このように命の起源をさかのぼっていくと、10世代では1024人です。20 世代では104万人を超えます。途中で誰かいなくなったり欠けていたら今の我々は、生まれていません。無限無数の命に支えられて、私たちの命は、今ここにあるわけです。今の命は、奇跡の命じゃないかと思うようになりました。このことは、到知出版社の藤尾秀昭社長さんのコラムにより、学ぶことができました。私は「あだやおろそかに命を無駄にできないな」ということに、病気になって初めて気づいたのです。

【若者へのメッセージ】

―さいごに、これからの日本を担っていく若者へメッセージをお願いします。

明岳市長:

命のつながりがあって、今から若い人たちがこの日本の国を支えていってくれるわけですよね。その中で変わらないものは、私は誠意、真心だと思います。真面目に取り組むこと、やはりコツコツ努力することが大事なんだろうなと思います。昔、松原泰道さんという禅宗のご住職の講演会でのお話です。「あれを見よ 深山(みやま)の桜 咲きにけり 真心尽くせ 人知らずとも」という和歌があります。「深山の桜」はちょうど今のこの時期、深い山の桜に着眼しています。あの桜の花は、誰が見ていようと見ていまいと一生懸命に自分の命を捧げて咲き、また散ることを繰り返します。この話を聞いて、私たちの仕事、公務員の仕事というのは本当にこの和歌の通りだと、私は確信したのです。この和歌のように仕事をする人生を過ごしていけば間違いないだろうなと思います。とにかく真心で他者に接して、 誠心誠意、自分に与えられた使命を果たしていく。それが若い人たちに伝えたいことですね。 先ほど申し上げた、父母からいただいているこの命の大切さ。 本当に貴重な奇跡の命を大事に過ごすことを、若い人たちには知ってもらいたいです。そういうことを意識し続けていけば、必ず日本はいい国になると思っています。

(インタビュー:2024-2-18)

プロフィール


■生年月日
昭和30年1月3日■学歴呉三津田高等学校卒業中央大学卒業
■職歴昭和54年4月 呉市役所入所平成21年4月 同都市部長平成22年4月 同市交通局副局長平成24年4月 同総務企画部長平成27年1月 同副市長就任平成28年7月 同副市長退任

■略歴
平成28年12月5日 江田島市長に就任(1期目)
令和2年12月5日 江田島市長に再任(2期目)

※プロフィールはインタビュー時のものです。

明岳市長とのインタビューの様子(2024年3月22日 zoomにて 明岳市長とドットジェイピースタッフ)

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