ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.246 [首長] 清元秀泰 兵庫県姫路市長 「医療と未来を守るまち、命を支えるリーダーの挑戦」

JAPAN PRODUCER INTERVIEW vol.246

「医療と未来を守るまち、命を支えるリーダーの挑戦」
姫路市長 清元秀泰


世界遺産・姫路城のふもとに広がる、医療と福祉が充実し、住みやすさ抜群の姫路市。清元市長に、地域医療の発展や若者に寄せる期待についてお話を伺いました!

市長になることを志したきっかけ

—— 清元市長が市長を志したきっかけについて教えてください。

清元市長:

実は、50歳くらいまでは市長になることは全く考えていなかったんです。というか、政治に対しても、多少の関心はあったものの、それほど深く考えていたわけではありませんでした。私は四国の医科大学を卒業後、アメリカの大学病院や、軍関係の病院でレジデンシー(臨床研修)を経験したり、地方や離島での診療に携わるなど、20代から30代の間は多くの場所を転々としながら、医師としてのキャリアを積んでいました。特に地方や離島での医療では、医師が圧倒的に不足している現状を肌で感じ、救急医療や多岐にわたる診療を行う中で、地域医療の厳しさを実感していましたね。

―― そのような背景がある中で、市長になる道を歩み始めたのはどういった経緯でしょうか?

清元市長:

東北大学に転勤したのが2010年10月、ちょうどその翌年すぐに、東日本大震災が発生しました。震災が起きた際、私はこれまでの医療経験が買われて、被災地の石巻や南三陸、気仙沼といった地域に派遣されました。当時の状況は非常に過酷で、設備も医薬品もほとんどない中で、避難所で診療活動を行いました。そこで破傷風や感染症に苦しむ多くの患者を目の当たりにし、手当てをしながらも、医師個人の力だけでは限界があることを強く感じました。特効薬や物資が不足している状況で、政治や行政の力がないと命を救うことができない場面が多くあり、これが私にとって大きな転機となりました。

―― 震災での医療経験が、市長を目指す決定的なきっかけになったのですね?

清元市長:

そうです。その時に初めて、政治や行政の影響力の大きさを感じ、個人の力だけではなく、組織や制度の力があって多くの命を救えるということを実感しました。その後、震災復興のプロジェクトに関わり、被災地の医療再建や地域医療の支援活動にも携わる機会を得ました。特に、国の予算立案や先端医療の開発支援など、復興に向けた大規模なプロジェクトの中で、行政のサポートがなければ成し得ないことが多くありました。そこでも、政治や行政がいかに重要な役割を果たしているかを再確認しましたね。

―― その経験が姫路市での市長選への挑戦につながったのですね。

清元市長:

はい。実はその頃、姫路市では新しい総合医療センターを建設する計画が進んでおり、前市長から「医療に強いリーダーが必要だ」と声をかけられました。私はこれまでの医療経験と、震災復興を通じて得た行政の重要性をふるさとである姫路市のために活かすべきだと思うようになりました。当初は医師としてのキャリアを続けるつもりでしたが、ふるさとの発展に貢献するため、市長選への出馬を決意しました。

―― 市長選への挑戦は大変だったのではないですか?

清元市長:

はい、非常に大変でした。私の対抗馬は、総務省出身のキャリア官僚で、3年前から準備を進めている方でした。多くの人が「医者が市長になれるはずがない」と思っていたようですが、私は震災で得た経験や、命の重みを感じながら医療を行ってきたことを信じて、全力で挑みました。結果として、接戦の末に勝利を収めることができましたが、本当に多くの人に支えられました。

―― 市長になってから、どのようなことに取り組んでいらっしゃいますか?

清元市長:

正直なところ、1期目はほとんどがコロナ対策に追われました。医師としての経験を活かして、感染症対策に全力を尽くしましたが、予想外の事態に対応するのは容易ではありませんでした。それでも、医療体制の充実や市民の安全を守るために努力してきました。今後は、医療や福祉をさらに充実させ、姫路を子どもたちが増える、住みやすい町にしていきたいと考えています。

理想の姫路市

―― 清元市長が考える理想の姫路市について教えてください。

清元市長:

私が考える理想の姫路市は、誰もが健やかに一生を全うできるまちです。市民の命が軽んじられることがなく、安心して暮らせる環境が整っていることが重要だと思っています。私が市長に就任してから掲げているキーワードは「ライフ」、つまり命です。この「ライフ」という言葉には、充実した暮らしが命を支えるという意味が込められています。

―― 具体的にはどのような政策で実現しようと考えていますか?

清元市長:

例えば、インフラ整備は命を守るための重要な要素です。高速道路の整備は人口が減少している今でも非常に大切です。特に姫路には山間部や離島があり、急病の患者さんを病院に運ぶ際にドクターヘリが使えない夜間でも、安全かつ迅速に搬送できる交通網が必要です。高速道路を使って治療しながら運ぶことができる体制を整えることで、多くの命が救われると考えています。

―― インフラ整備が命を守るために大切という考えですね。

清元市長:

その通りです。姫路は鉄鋼業やものづくりが盛んな地域で、物流の要でもあります。トラックやトレーラーが主要道路から溢れることで、生活道路にまで交通が集中し、住民が安全に暮らす環境が脅かされることがあります。そのため、道路整備も、単に車のためのものではなく、人々の安全を守るために行うべきです。また、東日本大震災では高速道路が最後の防潮堤として機能した例もあります。インフラの整備は、災害時に命を守るための重要な役割を果たすのです。

―― 他にも理想の姫路市のために取り組んでいることはありますか?

清元市長:

医療や福祉のネットワークを強化することも重要です。例えば、認知症の方を地域で見守り、孤立させない仕組み作りや、生活習慣病やフレイル(虚弱)を予防するための取り組みを進めています。姫路では「1日1万歩歩く」という目標を掲げ、市民の健康維持に力を入れています。また、姫路城までの道を歩行者が安全に楽しめるよう、車中心だった道路を広くし、歩道を整備しました。これにより市民が歩くことで健康を維持できる環境を作りたいと考えています。

―― 健康的な暮らしが、理想の姫路市の大きな柱ですね。

清元市長:

そうです。市民が長く住み続けたいと思えるまちを作ることが理想です。実際に、最近の「住みたい町ランキング」で、姫路が2年連続で近畿地方1位を獲得しました。これは、住みやすさだけでなく、健康的で豊かな暮らしを提供できるまちであることが評価された結果だと思っています。自分の家を建て、老後まで安心して暮らせる街づくりを目指しています。

ウォーカブル推進計画とは

―― では次に、姫路市のウォーカブル推進計画について詳しくお聞かせください。

清元市長:

ウォーカブル推進計画というのは、住民が日常的に歩くことを楽しみながら、健康を維持できる街づくりを目指した施策です。姫路市の中心となる大通り、特に姫路駅から姫路城までの通りは、もともと戦後の復興時に作られたものですが、当時はモータリゼーションが進み、自動車中心の都市設計がなされていました。高度経済成長期はそれで良かったのですが、今の時代は車ではなく、住民が歩いて楽しめる空間を作ることが大切だと感じています。これは私だけではなく、前市長も強く感じていたことです。

――車よりも人を中心にした街づくりが重要になっていますね。

清元市長:

その通りです。特に姫路城は市のシンボルですし、駅を出てすぐに見えるその景観を活かしたまちづくりを推進しています。ウォーカブルな通りを作るために、まずは駅から姫路城までの道にイルミネーションを設置したり、歩道を広げたりして、歩行者が安心して楽しめる環境を整備しました。これにより、観光客はもちろん、市民も毎日の散歩が楽しくなるような工夫をしています。

―― 観光と市民の健康促進、両方を兼ね備えた施策ですね。

清元市長:

そうです。実際、私たちはJR東日本と共同で行った研究からも、多くのことを学びました。例えば、駅からおおよそ800メートルから1.2キロメートルの距離を歩くことが、特に高齢者にとって非常に健康に良いというデータがあります。毎日そのくらいの距離を歩くだけで、血糖値や血圧が改善され、健康寿命が延びることがわかっています。これを踏まえて、姫路市では、姫路駅から姫路城までの道のりがちょうどその距離にあたることもあり、歩いて楽しむまちづくりを推進しているんです。

―― 健康寿命の延伸に寄与するということですね。

清元市長:

はい、これは健康の面だけでなく、都市計画としても非常に大きな意味があります。ウォーカブル推進計画は、国土交通省から「歩行者利便増進道路」制度の認定を受けた初めての施策の一つで、これは住民の健康寿命を延ばすことを目標にしたインフラ整備です。ただ単に道路を作るのではなく、人々が楽しみながら歩くことで健康が保たれるような設計がなされているんです。この政策には、私がこれまで行ってきた研究成果も反映されています。

―― 姫路市ならではの、魅力的な取り組みですね。

清元市長:

さらに、ウォーカブルなまちづくりは健康だけでなく、文化的な充実にもつながっています。姫路城だけではなく、新しく設置した文化施設「アクリエ姫路」もその一環です。この施設は、ウィーンフィルやベルリンフィルといった有名なオーケストラが公演を行ったコンサートホールや、国際会議が開催できる大規模なホールを備えています。姫路駅からアクリエ姫路まで徒歩10分ほどの距離があり、天候に関係なくバリアフリーで移動できるように整備しています。こうした取り組みも、ウォーカブル推進計画の一部です。

―― コンサートや国際会議まで、歩いてアクセスできるのは素晴らしいですね。

清元市長:

はい、姫路のまちは、単に観光地としてだけではなく、市民の日常生活に密着した施設を整備し、歩くことが楽しみになる環境を作っています。例えば、アクリエ姫路ではコンサートやイベントが開催されるたびに、多くの市民が歩いて訪れます。そうした中で、ただ移動するだけではなく、歩くこと自体が楽しみになるようなまちを目指しています。雨の日でも快適に移動できるように工夫されており、誰もが利用しやすい環境を提供しています。

―― コンパクトシティの考え方も取り入れているのでしょうか?

清元市長:

ウォーカブルなまちづくりは、コンパクトシティの要素も含んでいます。都市の中心に様々な施設を集約し、市民が無理なく歩いてアクセスできるようにすることで、より健康的で充実した生活を送れるようにしています。また、これからは少子化対策も視野に入れつつ、通学や通勤の負担を軽減するために、適切な距離に学校や公共施設を配置することも重要です。歩くことが自然な生活の一部となるまちづくりを続けていきたいと思っています。

若者に激励やメッセージ

―― 今日は貴重なお話をありがとうございました。医師としてのご経験や、市長を目指されたきっかけを詳しく聞けて、非常に勉強になりました。最後に、これからの日本を担う若者に向けた激励やメッセージをお願いできますか?

清元市長:

まず、今日皆さんとお話しして驚いたのは、今の若者がとても社会に対して真剣に考えているということです。私が皆さんくらいの年齢の頃は、そんなこと全く考えていなかったですね。正直、遊ぶことや部活動、アルバイトなど、自分のことばかりで精一杯でした。でも、今の若者はすでに未来を見据えて、社会の一員としての責任を感じている。これが非常に素晴らしいことだと思います。例えば、近隣の芦屋市の高島市長も若い世代の一人で、東北で会った時に彼もボランティアに参加していて、非常に意識が高いなと感じました。最近の若者は、世界や社会のことを平気で真剣に考えることができるんですよね。私なんかは、40代や50代になってから「自分は何のために生まれてきたんだろう」とか「社会にどう貢献できるだろう」と考え始めたくらいで、若い頃は自分のことばかりでした。それに比べて、今の若者は本当に成熟していると感じます。

―― 市長から見て、今の若者に期待することは何でしょうか?

清元市長:

まず、皆さんには「自分には何か特別な才能がある」と信じて、いろんなことに挑戦してほしいですね。私自身、若い頃は失敗もたくさんしましたし、なかなか思い通りにいかないことも多かった。でも、その失敗があったからこそ、今の自分があると感じています。大事なのは、失敗してもそれをどう乗り越えていくか。そこから学び、次のステップに進むことが大切です。

―― 失敗から学ぶというのは、とても重要なことですね。

清元市長:

そうです。私も東北で震災があった時に、多くの困難に直面しました。親を失った子どもたちを目の前にして、何もしてあげられない自分の無力さに悩んだこともあります。しかし、その時に感じたことが、今の私の行動の原点になっています。だからこそ、皆さんには「失敗しても、それが次の成功につながる」ということを信じてほしいですし、何よりも行動することが大切だと思います。

―― 行動することで、学びや成長が得られるということですね。

清元市長:

はい。行動することで、結果がどうであれ、必ず得るものがあります。例えば、医師として働いていた時も、私は自分が得意ではないと思っていたことにも挑戦してきました。最初は「これは自分の役割ではない」と感じることもありましたが、実際にやってみると、それが後に大きな財産になることが多かったんです。ですから、皆さんも、今目の前にある課題やチャンスを逃さずに挑戦してほしい。そこから得られるものは、後々必ず自分の成長に繋がると思います。

―― 確かに、挑戦し続けることが大切ですね。

清元市長:

そうですね。そして、もう一つ大切なことは「人とのつながり」です。私がここまでやってこれたのも、多くの人に支えられてきたからです。医師として地方や離島で働いていた時も、周りのスタッフや住民の方々との信頼関係があったからこそ、困難な状況でも乗り越えることができました。皆さんも、これからの人生でたくさんの人と出会い、支え合いながら自分の道を切り開いてほしいですね。

―― 人とのつながりが、自分の力になるということですね。

清元市長:

はい。人は一人では生きていけませんし、どんなに才能があっても、他人の支えがなければ限界があります。だからこそ、周りの人とのつながりを大切にし、その中で自分の役割や目標を見つけていくことが重要です。また、他人のために行動することが、自分自身の成長にもつながります。私も市長として、姫路市の皆さんと一緒に未来を作っていくために、これからも全力で取り組んでいきたいと思っています。

―― とても励みになるお話をありがとうございます。最後に、若者に向けて一言お願いします。

清元市長:

自分の可能性を信じて、失敗を恐れずに挑戦してください。そして、他人とのつながりを大切にしながら、自分の役割を見つけていってください。人生は長いので、一つの失敗で終わることはありません。自分の成長を信じて、粘り強く進んでください。これからの日本を担う皆さんに、期待しています。

―― 本日は、どうもありがとうございました!

(インタビュー:2024-8-29)

プロフィール

■生年月日昭和39年1月1日■学歴昭和57年3月 兵庫県立姫路西高等学校卒業昭和63年3月 国立香川医科大学(現香川大学)医学部卒業(医籍登録)
平成4年3月 同大学大学院修了、医学博士取得
平成4年8月 テキサス大学ヘルスサイエンスセンターサンアントニオ校学術研究員
平成7年9月 国立香川医科大学(現香川大学)医学部附属病院勤務
平成22年10月 東北大学医学部医学系研究科に異動
平成24月2月 東北大学東北メディカルメガバンク機構地域医療支援部門 部門長(教授)
平成28年4月 日本医療研究開発機構 調査役・プログラムオフィサー
平成31年4月 姫路市長に就任(1期目)
令和5年4月 姫路市長に就任(2期目)

※プロフィールはインタビュー時のものです。


(2024年8月29日 オンラインにて 清元市長とドットジェイピースタッフ)

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