ジャパンプロデューサーインタビュー
Vol.223 [首長] 栁澤 重夫 静岡県御前崎市長 「社会を生きる力を育む御前崎市の教育」
〝社会で生きる力を育む御前崎市の教育〟
御前崎市長 栁澤重夫
JAPAN PRODUCER INTERVIEW vol.223
太平洋に面し灯台と一体となった美しい海岸に加え、北部には茶園があるなど、
海と山と豊かな自然に恵まれたまち御前崎市。
そんな御前崎市の将来を担う子ども達への教育について
栁澤市長に話を伺いました!
< 市長になったきっかけ >
ー御前崎市長を志したきっかけを教えてください。
栁澤市長:
私は昭和21年生まれの75歳でして、中学校を卒業しそのまますぐに働きに出ました。遠洋漁業のマグロ船で働いていたんです。当時は船長に憧れていました。現在のように人工衛星は飛んでいない時代ですから、船長が星を観測し船の位置を測定していたんです。それがカッコいいと思ったんですね。24歳の時に船長になりました。しかし、船員がみんな私より年上の人ばかりでね、34歳の時に船を下り、家業の肉牛飼育の仕事をするようになりました。
行政に興味が出てきたのはその後のことです。52歳の時に市議会議員選挙に出ました。17年間市議会議員を続け、最終的に市長になったわけですけれども、当時は長く議員を務めさせていただいたので引退しようと考えていました。そんな時、周りの議員から市長になってみてはどうかと提案されました。当然のように議員には行政の執行権がありません。ふる里御前崎の将来を考えた時に、自分が現状を変えていきたい思い、市長選挙に出馬を決めました。
< 社会というプールを泳ぐための実学 >
ー栁澤市長の考える理想の御前崎市を教えてください。
栁澤市長:
私は、これからの社会を担う子どもたちの教育が一番大事であると考えており、教育を最重要視して取り組んでいます。もちろん、他の事業も大切ではありますが、やはり教育という人づくりの事業が一番大切だと思っています。
私は教育委員会とも長く関わったこともあり、子どもたちに「学力」が必要ということは承知しています。しかし、これからの社会は「学力」だけでは生き抜くことは出来ないと思うのです。「社会に出ても困らない力を身につけてほしい」。そのために「学力」と合わせて、子どもの時から創造性や忍耐力、人間性などを身につける「実学」を展開する必要があると考えています。
いずれにしても1つの能力だけでは社会を生き抜いていくことはできません。子どもたちが教育を受ける段階で様々な経験をして、幅広い知識をもって社会に出てもらいたいと考えています。皆さんも「勉強が第一」と、頑張っているかもしれませんが、幅広いことにチャレンジし、自分を磨くという体験や経験をしてもらえたらと思います。「畳の上の水練」という言葉を知っていますか。畳の上でいくら泳ぎ方を教えても、実際に水の中では泳げないということわざです。社会で生きていくということもそれと同じ。学校で勉強を学ぶだけでは社会では通用しません。私は、学校教育を通じて「社会というプールで十分に泳げるような子どもたちになってもらいたい」と考えています。
ー実際に御前崎市ではどのような教育に取り組んでいらっしゃいますか?
栁澤市長:
本市では「スクラムスクール」といって、幼稚園、こども園、小学校、中学校、高校を1つの学校と考えて、先生同士が連携して教育活動を展開しています。
この取り組みを行う上で、各学校を訪問し先生方と車座になってミーティングもしました。会議などで先生方と接する機会があるときは、社会全般の知識を持って教壇に立って欲しい、教科の勉強からは少し離れた体験学習も取り入れて欲しいとお願いしています。今後も先生方と意見交換をする中で、子どもたちにとってより良い教育を目指していきたいと考えています。
本市にある御前崎ロングビーチは「ウインドサーフィンの聖地」と呼ばれるほど愛好家たちから人気があり、プロ選手もたくさん住んでいます。ウインドサーフィンをする小中高校生が世界チャンピオンになったりもしています。こうしたマリンスポーツの教育環境も大事にしていきたいですね。また、マリンスポーツ以外にも地域にはたくさんの体験学習の資源があると思いますので、活用していきたいですね。
< 御前崎市の子ども達がこれからの将来を担う >
ー御前崎市の教育を受けた子ども達が市の教育を担っていくのですね。
栁澤市長:
そうですね。首都圏に若者が一極集中しており、地方の自治体では若者の流出に歯止めがきかない状態です。本市でも、子どもたちに地元へ戻ってきてもらうにはどのような手立てをすればいいか試行錯誤を繰り返しています。
こうした中、昨年度から「御前崎市リターン就職応援プロジェクト」という事業に取り組んでいます。これは地元企業と若者のマッチングや金融機関からの教育資金の借り入れ、地元企業に就職した際の教育ローンの利子相当額を助成するといったもので、本市で育った子どもたちが成長のために進学し、その後地元へ戻り、地域企業へ就職して活躍してもらえるよう支援する制度です。
どの自治体でも奨学金制度があると思いますが、どうしても奨学金を貸す、借りるという関係に留まってしまいます。それだと学生が地元に帰ってこないんですよね。「将来の御前崎市を担ってもらいたい」と伝えることも私達の勤め。本年度は、実際に首都圏まで足を運び御前崎市出身の若者たちと直に交流したいと思っています。
御前崎市で育った子どもたちに、地元にたくさんの知識や技術を持ち帰ってもらい、将来の御前崎市のためにまちづくりして欲しい。市出身の若い世代の皆さんにもコミュニティ作りにも参加してもらいたいと考えています。
< 目に見えないからこそ人に関わる政策を >
ー地域づくりや政策立案コンテストなどに参加する学生に対しメッセージをください。
栁澤市長:
自治体規模の大きい小さいはありますが、どのまちでも人の考え方は多種多様ですから、住民全員の要望やニーズ全てに対応することは難しいです。事業に対し全ての住民が賛同するということはありませんからね。しかし、政策を立案する上で、人に対する政策を一番大切にして欲しいと思います。例えば、道路や建物を造れば目に見える実績にはなりますが、教育の成果というものは分かりにくいですし、成果が実感できるのも時間を要します。教育や人づくりというところは実績として出にくいんですね。ですが、目に見えないものでも将来を考えると取り組まなくてはならないですし、重要な部分です。これからの社会を担う皆さんにも福祉や教育という人に対する政策を大事にして欲しいですね。
(インタビュー:2022-03-29)
プロフィール
■生年月日 昭和21年12月5日
■略歴
昭和37年 浜岡町立浜岡中学校 卒業
昭和39年4月 福一漁業株式会社 第八福一丸
昭和42年4月 白羽遠洋漁業協同組合 第十一白神丸
昭和45年4月 白羽遠洋漁業協同組合 第十一白神丸 一等航海士
昭和47年4月 日吉水産株式会社 第十七日吉丸船長
昭和54年2月 畜産業
平成11年~16年 浜岡町議会議員(平成15年5月~平成16年3月 副議長)
平成16年~28年 御前崎市議会議員(平成16年4月~平成18年4月 議長)
平成28年~現在 御前崎市長
※プロフィールはインタビュー時のものです。
2022年3月29日 zoomにて
(左:御前崎市長 右:ドットジェイピースタッフ)