ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.219 [首長] 藤井 信吾 茨城県取手市長 「そのまちならではの創造的領域をどれだけ持っているか」

〝そのまちならではの創造的領域をどれだけ持っているか〟
取手市長 藤井信吾
JAPAN PRODUCER INTERVIEW vol.219

茨城県の最南端に位置し、東京からの入り口となる取手市。
アートを中心に地域住民が一体となって行っている
魅力あふれるまちづくりについて
藤井信吾市長にお聞きしました!

< 市長になったきっかけ >

ー市長になったきっかけを教えてください。

藤井市長:

私は、昭和58年に東大法学部政治学科を卒業しました。学生時代は、政府の地方制度調査会の会長及び副会長を務められた西尾勝先生の行政学のゼミに属しており、もともと地方自治の分野には大変興味を持っていました。大学卒業後は生命保険会社に入社したため、政治の道については長い間忘れていましたが、ある時、ある方から、自分が住んでいる取手市に、市長という形で携わってみないかという働きかけをいただきました。それが、私が市長を目指すきっかけでした。初選挙はあえなく落選してしまいましたが、周囲の人たちに背中を押していただいたことを契機に、住んでいるまちに対して自分ができることに取り組んでみたいという自分の本心に気づき、日々勉強を重ね、次の選挙では市民の皆さまからの信頼を得て、当選することができました。

< 地域住民とともに創っていく魅力あふれる取手市 >

ー市長が考える理想の取手市について教えてください。

藤井市長:

取手市は東京から40キロ圏内にあります。このような都市は昭和の時代までは、そこそこ便利で、そこそこお手頃というのが選ばれる基準でした。しかし今は、お手頃感や便利さということよりも、「そのまちならでは、という創造的領域をどれだけ持っているか」ということが決め手になると考えています。

ここで、取手市ならではの創造的領域を二つご紹介します。
一つ目は、「アート」です。取手市では、東京藝術大学、東日本旅客鉄道(株)、(株)アトレ、そして取手市の4者による共催という形で1600平米に及ぶアート専用空間(たいけん美じゅつ場:通称「VIVA」)を取手駅の駅ビルに設置しています。そこでいろいろな展覧会や講演会などを開催し、様々なイベントを通して新たなものに出会える空間を創出しています。取手市は、平成3年に東京藝術大学が開校されたことを機に、「アートのまち 取手」ということで市内に20数箇所を超えるアートの壁画をはじめ、様々なアートに関する取り組みをしています。こうした取り組みが、市内外の皆さまに「取手ならでは」として評価されていると思っています。
もう一つは、「健康のために取手市民みんなが活動している」ということです。ここで言う健康とは、身体的な健康だけではありません。身体的健康のみならず、引いてはまちの健康、あるいはコミュニティの健康といったところまで含めるような健康づくりを、横断的な政策としてじっくりと取り組んでいます。この取り組みの結果、取手市は65歳以上の高齢者比率が既に35%を超えているのですが、介護保険の要介護認定率を見てみると、全国平均が18.5%であるのに対し、取手は全国平均よりも5%低い13%であり、健康な高齢者が多いと言えます。
「アート」と「健康づくり」、この2つを21世紀の柱に据えて取手市は今取り組んでいます。

ー東京藝術大学の開校を機に交流しているとのことですが、アートの分野に取り組むことになったきっかけについて教えてください。

藤井市長:

東京藝術大学と取手市民をアートでつないでくれた存在として、取手アートプロジェクト(通称「TAP」)があります。TAPは、東京藝術大学と取手市、そしてアーティストの活動をさまざまな形で支援する市民との連合体です。TAPは設立後早い時期から団地等住宅地で取り組みを行っていますが、それがまちにアートが溶け込んでいる理由の一つなのかなと思っています。今年の2月には、市内にある高須地区で地元の人と共に地場で採れた藁を漉いて作った紙を使った大凧を大空に舞い上がらせるという、大きな夢のある試みに挑戦し、見事成功させました。

ー市長から見て、アートや健康づくりなど取手市民の意欲的な行動の根幹にあるものは何だと思いますか?

藤井市長:

取手市も以前は都市近郊の農耕地帯でしたが、昭和40年代ぐらいから急速に東京に通うサラリーマンのベッドタウンとして整えられて、さまざまな開発が進んできました。そうした変化の中で、今までの取手市を支えてきてくれた人たちと未来の取手市を支えてくれる人たちの融和がずいぶん進んできたのだと思っています。また、取手市は平成17年にお隣の藤代町と合併しました。その合併から16年が経つのですが、取手と藤代の融和もとても良い形で進んできました。
取手市のキャッチフレーズは、「ほどよく絶妙とりで」というものなのですが、これは都会すぎないけれども、情報や人々の交流が隔絶されているようなローカルな所でもないということを魅力として発信していこうということで、あらゆる世代や地域の市民の皆さまに参加者意識を持って取り組んでいただいています。市民の皆さまが自身で発信して紡ぎあげてきた活動が結実しているところを見聞きすると、とても嬉しくなります。

< 取手市が今抱えている課題とは >

ー理想の取手市を実現するにあたって、取手市が抱えている課題について教えてください。

藤井市長:

それは、当市の人口ボリュームが年代によってかなり差があるということです。取手市は、昭和40年代から昭和50年代半ばに人口がどんどん増えました。その当時に入ってこられて今75歳から80歳になる方たちが、男女ともに突出して多く、私のような60歳前後の人口は、その年代に比べてかなり人口ボリュームが細いという状態です。少子高齢化がこのまま進むと、若い世代の負担がどんどん大きくなってしまうということを、私は大変危惧しています。
そうした状況を打開するために、新しく家族を形成してくれる人たちに取手をぜひ選んで住んでいただきたいということで、転入を促進するキャンペーンを大きく分けて二つ継続して行っています。一つは、「シティプロモーション」です。これは、市内在住者にも、市外在住者にも、取手の良さを認知してもらうための取り組みです。もう一つは「とりで住ま入る(スマイル)支援プラン」という、取手にお住まいいただいた方に住宅取得の補助をする取り組みです。こうした取り組みにより、平成30年から令和3年までの4年間、取手市は日本人における転入者と転出者の差引で転入超過を実現しています。

ーさらに転入を増やして行く為に、行っていきたい施策について教えてください。

藤井市長:

先程の「とりで住ま入る(スマイル)支援プラン」に加えて、例えば取手でお店をオープンするという方には、お住まいへの支援を上乗せでしています。取手に住むだけではなくて、ここでビジネスも立ち上げてみようという事の両方で、この街を起点に大きく羽ばたいてみたいという方を、取手市は応援しています。
その応援の仕方として、取手市では駅前に「Match-hako」という場所を設け、充実したプログラムのもと起業家支援を行っています。

例えば、志があって、自分の事業のコンテンツだけはあるけど、お金の調達の仕方も分からない、人の雇い方も分からない、会社としての就業規則などのつくり方も分からない。こういった方々をパッケージでお支えをする仕組みができあがっています。そして先輩たちや周りの商工業者たちも皆さんのスタートを後押しする体制もできていますので、ぜひご相談ください。実際に「Match-hako」を利用し起業されて、成功している例がいくつもあります。

< 若者へのメッセージ >

ー若者へのメッセージをお願いします。

藤井市長:

取手市や茨城県といった小さな枠にこだわらずに、若い方々が、日本の政治が見落としているもの、あるいは今までの政治の意見集約の方法をいくら重ねても、これからの未来の課題に対しては解決するだけのパワーを持てない分野があるよ、といったことを皆さんが直接ぶつけられるのがいいなと思っています。

例えば一例を言いますと、市が一生懸命いろいろなことを頑張って、それを都道府県が集約をしてくれるわけですが、茨城県のような南は取手市で北は北茨城市という縦長なところが県という単位で意見集約をすると、東京に近い所のニーズが薄まってしまうことがあります。これは持論ですが、東京の都心からコンパスで円を書くと、35キロから40キロのところ、40キロから45キロのところ、45キロから50キロのところと帯ができますよね。本当はこの帯のところが共通のニーズを持っていると思います。だから、こういうところが都道府県という単位を超えて、帯のところにふさわしい役割を果たすために共通して目指すべきものは何なのか、という発想で政策を展開していくことができると、郊外の新たな役割と可能性が見えてくると思います。

私は、政治の世界というのは後から評価がついてくるものだと思っています。ですから、自分のその時の評判を考えて動くのではなくて、10年先、20年先に振り返った時に、あの時の転換点をちゃんと形にしたと言われるよう、節目節目で勇気のある行動を取ろうと思っています。

世の中、こんなことをしたら票が減ってしまうのではないか、嫌われてしまうのではないかということで、みんなに合わせて徐々にやっていこうという考え方が非常に強いです。一歩も二歩も先に出てしまうと、社会から脱落してしまうようなことがあるかもしれませんが、やはり歴史を紐解いてみても、みんなが待ちの姿勢で協調的にやっているだけでは、新しい時代は開かれないと思っています。

終わりに、これまでやってきた日本の政治の仕組みでは、取りこぼしている部分が間違いなくあります。デジタルネイティブと言われる皆さん方の力を真に発揮し、日本の政治の中で若者だからこそ気がつくところを自信を持って発信することで、皆さんが日本の立ち位置をもう少し垢抜けたものにし、また日本の未来が今よりももっと頼もしく見えるよう変えていくことを、私は期待しています。

(インタビュー:2022-03-22)

プロフィール

■生年月日 昭和34年12月25日
■略歴
鹿児島県鹿児島市生まれ
東京大学法学部政治学科卒業
民間企業勤務を経て、平成19年4月27日に取手市長に就任(現在4期目)

※プロフィールはインタビュー時のものです。
藤井市長とのインタビューの様子
2022年3月22日 zoomにて
(左:藤井市長 右:ドットジェイピースタッフ)

関連記事
  • Vol.243 [首長] 木幡浩 福島県福島市長 「若者が行き交う県都福島へ」JAPAN PRODUCER INTERVIEW

    ジャパンプロデューサーインタビュー

  • 橋川市長プロフィール用
    Vol.242 [首長] 橋川渉 滋賀県草津市長 「誰もが健幸に暮らせるまちを」

    ジャパンプロデューサーインタビュー

  • 山本市長プロフィール用
    Vol.241 [首長] 山本景 大阪府交野市長 「財政再建から持続可能な住宅都市へ。元証券マンの挑戦」

    ジャパンプロデューサーインタビュー