ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.192 [首長] 永野 耕平 大阪府岸和田市長 「おもろい岸和田とは」

〝おもろい『岸和田』〟
岸和田市長 永野耕平
JAPAN PRODUCER INTERVIEW vol.192

大阪南部に位置する岸和田市。
毎年9月に行われる岸和田だんじり祭りは
大阪で一番有名な祭りといっても過言ではありません。
そんな岸和田市の市長である永野耕平市長に
岸和田のイチオシ政策をお聞きしました!

< 市長になったきっかけ >

ーやはり永野市長は学生時代から政治の世界に関心があったのでしょうか?

永野市長:

高校生、大学生の頃は本当に政治の世界にはあまり関心がありませんでした。
父が府議会議員をやっていて、その後姿を見ていましたが、あまり大学にもこだわってはいなかったですね。

ー政治や政策に関わったこともほとんどなかったのですね。

永野市長:

政策について大学生当時、アルバイトをして貯めたお金で大阪の心斎橋、アメリカ村で服屋を開業していました。その時、ひとりお客さんが政策立案コンテストを運営している『GEIL』の運営をしていまして、「関西に誰か拠点になる人いないか」と持ちかけてきたので、通っていた関学で『GEIL』に参加しませんかとPRをしました。
でも大学にもちかけた手前、自分が参加しないとは言えないと思いまして(笑)
そこで『GEIL』に参加しまして、メンバーにも恵まれ、コンテストで準優勝することができました。

ーそのような政策立案コンテストに参加してどのような心境の変化などがありましたか?

永野市長:

いや、でもそれは楽しかっただけですかね(笑)

ーではどのタイミングで政治家を目指されたのですか?

永野市長:

僕は実は(曾祖父が創設した)児童養護施設の敷地内で親と離れて暮らす子供たちと共に育っているんですよ。
大学生時代も施設でアルバイトをしたり、子供たちに勉強を教えるなどして一緒に住んでいました。

施設の子供たちの世話をすることに気持ちが入り、その施設に就職しましたのですが、
ただ僕は法学部出身なので福祉の知識が全くといってない素人でした。
そのため専門学校に通い、社会福祉士や精神保健福祉士などの資格を取得し、
経営側に立つようになり、経営の勉強をしないといけないと思い、大阪市立大学のMBAを卒業しました。
全て働きながら学問をしたのですが、全ては目の前にいる子供たちのためを思ってやっていました。自分のスキルを上げることで子供たちの未来のために貢献をしたいと常々思っていたためできたことだと思います。

その後、父が府議会議員を引退することきっかけに
府議会議員になってもっと社会的養護を充実させたいと思い、立候補をしました。
(※児童養護施設や里親などの社会的養護を担っているのは大阪府などの各都道府県)

たくさんの人に反対されたのですが、「子供たちのため」を想って突き進みました。

ー市長になる時も周りから反対されたとありましたが、その反対をどのように乗り越えましたか?

永野市長:

まず、政治家ってなんなのかと聞かれたら、なにも優秀な賢い人が政治家になるわけではありません。もちろん優秀な方がいいかもしれませんが、なにも優秀である必要はないと思います。
やはり政治家に必要なものは「意志」です。

行政機関は皆試験に受かった賢い人が仕事をしていて、
優秀な人たちが考えてまちづくりをしている、これにはなんの問題もないんですよ。
その中で政治家は市民を代表して行政に入っていきます。
しかし、その人は賢さで入っていっても意味がないんですよ。
そこで必要なのは市民や府民、国民の『意志』を代弁する人です。

だからこそ、僕たちが市民に選ばれて政治をしていくときに必要なことは『意志』です。
反対されて辞めるぐらいなら政治家になれないし、ならなくてもいいかもしれませんね(笑)

< おもろい岸和田について >

ー永野市長は選挙時に「おもろい岸和田をつくろう!」と発信をしていましたが、市長にとって「おもろい」とはなんですか?

永野市長:

日本全国には千を超える自治体があり、
住民票など戸籍をお預かりするなど基本的な自治体の仕事があり、これは全国一律なんですよ。
岸和田市も普通の自治体で在ることはできます。
でも、それやったら日本全体が少しずつ良くなっていくことはありません。
ではどうしたら良くなるのか。
やはり、地域単位で他にはない新しい取り組みをしていくべきだと思います。

全国の自治体で少しずつ新しい取り組みを思い思いにしていく中で、
いくつかは成功し、いくつかは失敗する。
その成功したものが他の地域や次の時代に引き継がれて少しずつ日本がよくなっていきます。失敗の体験も共有できると同じ失敗を繰り返さずにすみます。

このように自治体の基本的な仕事をこなしながらも
新しいことをして成功したり失敗したりすることも自治体の役割なんですよ。
その新たなことをする姿勢を「おもろい」と表現しています。

< おもろい取り組みとは >

ー永野市長が取り組んできた『おもろい』と思う取り組みを教えてください

永野市長:

たくさんありますが、強いて言うならば『泉州山手線の都市開発』です。
岸和田市の近くには和泉中央駅があって僕らもけっこう使うんですけど、
和泉中央駅は和泉市なんですよ。
そこはいっぱいマンションができて開けているんですが
もういっこ駅通ったら岸和田なのになんで来ないんやろって思って。

それで調べていったら、計画はあるらしいと。
でもその計画は止まってる。「なんで止まってるねん」と思い、
調べていきました。

最初は「泉州岸和田線」と「岸和田南海線」と二本の開発計画があったんですよ。
でもこの計画通りにしてしまうと莫大なお金がかかるとのことで計画が止まっていました。

それを政治家として岸和田南海線を諦めて、泉州山手線だけにして
かつ65mの幅員を35mにしたらどうかと提案すると、それやったらできるとのことで計画が進みだしました。この交渉を僕が中心となって府会議員の時にそこまでもっていきました。

そして次に市長になってこの計画を導くためには「まちづくり」をしっかりしていく必要があるよね。つまり「泉州山手線」ができるなら、その沿線を広げていって、そこにもう一回「まち」をつくっていかないといけません。
そういう「まちづくり」の作業を今僕がやっています。

将来的には泉州山手線を通じて
色んなビジネスなど多くのことが行われるじゃないですか。
街が活性化する、変わる、僕はこれが「おもろい」と思います。

もちろん、結局は色んな人の力を借りてやっている
未来のために色んな人を動かしたということはおもしろかったですね。

< 人生は短し!アグレッシブに生きよ >

ー最後に、若者に対してメッセージをお願いします。

永野市長:

まず僕は年齢に関わらず「若者」がいらっしゃると思っています。
でももちろん若い方々が身体も強いし、心もフレッシュやし、挑戦心もあるし、
国会議員や市長などを目指してほしいな
そうしたら府民や市民からすれば、それだけ選択肢が増えるからいいことですよね

政治家っていう人たちが、自分たちとは違う人たちやとは思わずに
自分が手を挙げて立候補することもひとつ想像してみてほしい。

案外、若い人たちの中では立候補はしても大丈夫だけれども、演説恥ずかしいとか、マニフェスト難しいわ、今の政治の世界を見てて課題なんてわからへんわ、と思うかもしれないけれどそんな悩みは一歩踏み出したら吹き飛ぶと思いますので水風呂入るみたいに「えいっ」て入ってほしいです。

もちろん家族は政治家になることに対して心配するし、反対するかもしれません。
不安定な職業ですからね。

言いたいことは若者の時って自分の命って大分長いと思うし、無限に生きているような気持ちになるけどもそんなんあと10年20年経ったら、俺の人生あともうちょっとやってすぐ思うんでね。 
つまり人生ってすごく短いと思うんですよだから、アグレッシブに生きてほしい。
そのひとつがみんながなかなか踏み込めない政治の世界なのかもしれない。

自分の人生ほんまに大事に大事に生きてもあっという間に人生って過ぎていくから少々危険を犯してもアグレッシブに生きようっていう、気概を持って政治家も目指してほしいなと思います。

(インタビュー:2021-12-03)

プロフィール

■生年月日 昭和53年4月25日
■最終学歴 大阪市立大学大学院 経営学研究科 卒業
■略歴
岸和田市立山直北小学校 卒
清風中学・高等学校 卒
関西学院大学 法学部 政治学科 卒
大阪市立大学大学院 経営学研究科 (MBA)卒
元 社会福祉法人 阪南福祉事業会 岸和田学園 副園長
元 公益社団法人 岸和田青年会議所 理事長
元 学校法人 村川学園 監事
元 社会福祉法人 健福祉会 監事
維新政治塾一期生

2015年4月 大阪府議会初当選
2018年2月 岸和田市長

※プロフィールはインタビュー時のものです。
岸和田市長とのインタビュー写真
2021年12月3日 岸和田市役所にて
(中央:永野市長、左右:ドットジェイピースタッフ)

関連記事
  • Vol.243 [首長] 木幡浩 福島県福島市長 「若者が行き交う県都福島へ」JAPAN PRODUCER INTERVIEW

    ジャパンプロデューサーインタビュー

  • 橋川市長プロフィール用
    Vol.242 [首長] 橋川渉 滋賀県草津市長 「誰もが健幸に暮らせるまちを」

    ジャパンプロデューサーインタビュー

  • 山本市長プロフィール用
    Vol.241 [首長] 山本景 大阪府交野市長 「財政再建から持続可能な住宅都市へ。元証券マンの挑戦」

    ジャパンプロデューサーインタビュー